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どうして歴史を勉強しないといけないの?

「社会」の授業があんまり好きじゃなかった。覚えることがたくさんだし、徳川◯◯だけで十何人もいるんだ。それに、色んな出来事がありすぎて、結局どういう時代だったのか、分かったような分からなかったような、いつもスッキリしない感じで毎回授業が終わる。おじいちゃんが生まれるよりも遥か前の、もう誰も生きてないような前の話を聞かされても、何か意味があるのかな。
正直、10代の頃は多かれ少なかれそんなふうに思っていた。大人になってからやっと、歴史を知るのって大事だな、と思うことも増えてきたよ。

地球は太陽系の惑星のひとつで、火星や水星と同じように太陽の周りをぐるぐる回ってる、というのが今は常識だよね。でも昔は地球の周りを太陽がぐるぐる回ってるという考えが常識だったし、そもそも地球が球体だとは思われていなかったんだ。昔は地球が太陽の周りを回ってるなんて言う人はひとりもいなかったし思いつきもしなかった。そんなこと言う人は馬鹿者扱いされてたんだよ。この話は世界史でも習うけど、ここから私たちが知ることができるのは、常識って時代によって変わるんだ、っていうこと。この考えを引き伸ばすと、地球が太陽の周りを回ってるなんて考えている今の私たちは未来の人類にとってはとんでもない馬鹿者かもしれないんだ。今はそんなわけないって馬鹿らしく思うかもしれないけど、この姿こそが地球の周りを太陽が回ってると思っていた人たちの当時の姿そのもの。でも過去より今、今より未来が絶対正しいってわけじゃないよ。だって私たちは馬鹿者じゃない。昔に地球の周りを太陽が回ってるって言っている人も馬鹿者じゃなくて知識のある賢い人だった。その時代それぞれに正しいことがとされていることがあるんだ。でもその正しさは永遠じゃないし絶対じゃないってこと。あくまでも正しい「らしい」だけなんだってことだね。

今は仕事をしてお金を稼いで生活する仕組みの社会。お金をたくさん持っている人とそうでない人がいて、たくさん持っている人は好きなものがたくさん買えて広いお家に住めるから、給料の良い仕事をするために勉強したり就活したりするのが大変だし、給料の良い人のほうがモテる、なんてこともある。けど、昔は大人になったらする仕事が決まっていて就活なんてものはなかった時代もあったよ。誰と付き合って結婚するかも自分で決められない時代もあった。そもそもお金を稼いで生活する仕組みじゃない国や時代もあった。どの時代が一番いいのかな?今が一番最高?そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。大事にしたいものによっていつがいい時代だったか変わることもあるね。

原子力のパワーで電気を作ることが効率が良く豊かな生活を送れると考えられて原子力発電所ができたのは、おじいちゃんおばあちゃんが生まれた後の割と最近の話。でも今の日本では大震災があってそれによってかえって生活が脅かされることや人が死ぬことも深刻に考えられているよね。原子力発電所を作る前に、そういう問題に気づいて作るのをやめていたら、効率よく電気を得られなかったかもしれないけど安全に生活を送れていたかもしれない。作る前によく考えるためには、今の技術が全て最高なわけじゃないことをよく吟味する必要がある。最高「らしい」けど、ほんとうにそうかな?そのうたがう視点を持つのに歴史から教えてもらえることは多いんだ。今について考える方法を、過去が教えてくれるってこと。

たとえば、おじいちゃんがテレビにLGBTQを称する人が出ているのを見て「障害者だ」と言っている。それを聞いて私は「障害なんかじゃない」と思って嫌な気分になる。じゃあおじいちゃんは差別主義者の悪い人なのかな。いつも私には優しいし物知りで頭のいいおじいちゃん。いつもは悪い人だとは到底思えないよ。それを考えるには、おじいちゃんがこれまで生きてきた時代ではどのように捉えられてきたのか調べてみることも必要かもしれない。今はそういう風には考えられてないんだよってこと、どうしたらおじいちゃんに伝わるかな?そんな風に言われると一緒に楽しくテレビを観られないってことどう伝えたらいいんだろう。
私はさっき「障害なんかじゃない」って思ったけど、じゃあ私はどんな人のことを「障害者だ」と思っているのかな。そこにはどういう感情があるかな。自分に悪意がなかったとしてもそう言ったときに嫌な気分になるひとはいるかな。その人たちとはどういう風に話ができるだろう。自分に孫ができたら、その子とどういう話をするかな。おじいちゃんや、おじいちゃんのおじいちゃんとは、あるいは他の国の人とはどういう話になるかな。明治時代では?中世ヨーロッパでは?

歴史を絶対勉強しないといけない!とは思わないよ。徳川◯◯をテストに出そうな十何人全員覚えなくても、そりゃテストの点は取れないけど、それでいいならそれでもいい。でも、おじいちゃんから戦後の生活の話を聞いたり、美術館に行って昔の絵と最近の絵画を比べてみたりとか、なんらかの方法で歴史があることを知ることは大事だなって今の私は思う。今とは違うものの見方や考え方だった過去があるのが知れると、それによって今の考え方がいつの時代でもどこの国でも正しいってわけじゃないことを知れる。
その歴史って本当にぜんぶ真実なの?って考えたことはある?たしかに嘘が混じっていたりするかもしれないね。私の一生が歴史の教科書には載らないように、残ってない歴史もある。そういう見方も大事!。そういう賢いアイデアを思いついたのも歴史を学んだことがあるからだね。
歴史は、私が何かを考えるにあたって、いろんな考え方を授けてくれるよ。