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そして資本主義//

実は(別に隠してもいないけど)私は小さいころ新聞記者になりたかった。
小学生新聞なるものを読んでいたし、両親にインタビューして壁新聞みたいなものを作る遊びをしていたし、大学ではそういうゼミにも入った。

が、挫折した。
理由は色々あるし、まだ言語化できていないこともたくさんある、のだけど、どうしてか今の"社会"が体感として"変"だと感じていて、それを「そういうもの」として受け入れたり、やりくりしたりできる器用さと強さを、私が持っていなかった。見た目はそう見えないようだけど、私は打たれ弱いのだ。ジャーナリストになれるようなタフさが、私にはない。と思う。

日本から「逃げた」時期も長かったけれど、2020年現在。もう2年ほど日本を出ていない。この国の空気を”読んだり”吸ったりしていると窒息すると本気で思うときもあるのだが、真正面から考えることからも逃げていたと気がついた。でも、いわゆるSocial Goodとか、Ethicalみたいなキラキラしたムーブメントにも違和感があった。何がそんなに苦しいのか。"変"だと感じるのか。腹をくくって考えてみた。

そう、ヤツだ。「資本主義」ってヤツだ。
常識って、それこそ空気みたいになっていて、そこにあること疑いもしないけれど、今年になって人種も性別も所得も関係なく人類はすべからく外出がしにくくなり、皆一様に生命の危機にさらされた。(個人差はあれど)いままで「常識」だったことが拍子抜けするほどあっさりと変わっていく。通勤をやめて在宅で働くとか、できるだけ人に会わないようにするとか。あれ?常識だと思っていたけどそうでもないかも?ということがぼろぼろでてくる。私にとっては、玉ねぎの皮をむくようにして現れたのが、「資本主義」だった。
教育だとか経済だとか、いろんなことにキツさを感じる。でもそれはあくまで現象で、根はもっと奥にあると思っていた。でも、見たくなくて逃げ回っていたのは、私自身が"それ"にドライブされて、乗っかってきたからだ。我が一族は何世代も続く公務員・大企業家系だし、自分自身もギリギリ昭和生まれだし。おかしいなってわかっていたのに、乗っていたのだ。怖いから。

曲がりなりにも政治学科で学んだので、「資本主義の次はなにか」という話題で話したこともあるが、結局大した議論にはならなかった。当時は熟議民主主義なるものがちょっと流行っていたけれど、対立を良しとしない日本では無理だろうことは明白だった。

でも、根本から見ないともうだめだ。表面だけをキレイにしたって、もうだめだ。

この状況になった時、一番必要とされた仕事がなぜ低賃金なの?
そもそも、給料の差って誰がどうやって決めてるの?
なぜ、食べ物が捨てられているのに餓死する人がいるの?

……あれ、「資本主義」ってやつじゃない?それ?

自分の幼少期を振り返って、私は牙を抜かれ、自分の考えを持たないように、疑わないように、自虐的だが"エリート奴隷"として育てられたと思っている。(年齢的に)大人になってから、もう一度牙を研ぎ、自分の考えを持つことは本当に難しい。自分も"エリート奴隷"になろうとした。楽だからね。一瞬なった。でも私の体は正直で繊細すぎて、「これは違う」と思ったことをどうしても飲み込めなかった。あっという間に心身を壊した。体が違うというのだから違うのだ。人間という生き物に、合っていないんだ。行き過ぎた今の資本主義は。そんなときにこれを見た。

「さよなら資本主義 # 1歴史篇 」 ※youtubeにとぶよ

[Choose Life Project] は、テレビの報道番組や映画、ドキュメンタリーを制作している有志で始めた映像プロジェクトです。
わたしたちの未来は、好むと好まざると、現在を生きるわたしたちにその責任を負わせられます。
ならばむしろ、積極的にその責任を負っていきたい、 そういった意思を広く共有するためにわたしたちは行動します。

Choose Life Project、すごく好き。面白い。みんな見て。
資本主義ってべつに常識でもない。空気でもないことがよく分かる。キツイならやめればいい。もっといいやり方があるなら変えればいい。

ただ時代が変わっただけなのだと思う。資本主義が正義で、それはたしかに今までと比べたら、多くの人が恩恵を受けたかもしれない。でも完璧ではなく、限界もあり、欠点もある。


本当のことや大切なことはもっと隠れた底にある、という感覚が小さい頃からあった。私が小さい頃、新聞を読むのが好きだったのは、当時の新聞にはまだそういう真実の片鱗が含まれていたからだと思う。大騒ぎのアメリカ大統領選挙を見ながら、誰の思惑がどう絡んでいて、「本当」はどこにあるのかを考える。そういうことが私は好きだ。真実が見えるとスッキリする。心地いい。それは体が。

人間が社会的生き物なら、他の誰かを搾取して自分の命が成り立つことを善しとするのは違うと思うんだ。それは世界大戦後の教育の賜物かもしれないけど、でも、幸せでいたいとか、安心して生きていたいとか、そういうことって、誰しもが賛成できることなんじゃないのかな。唯一。
ようやくその望みを認めて、実現できるところまで、人間は「進化」してきたってことなんじゃないのかな。「進化」しようよ。楽しくて、幸せな世界を創ろうぜ。

ということで、こんな事もやってます。



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