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ここにある

部屋から歩いて2分くらいのところにある、喫茶店でモーニングを食べているときだった。ちょっとしょっぱいバターのきいたシナモントーストに、ココット入りのミニサラダがついている。業務用のドレッシングが油っぽい。クリームがのったカフェ・オレ。豆腐屋さんとか魚屋さんとか、寝具屋さんもある商店街がこのあたりにはまだ残っていて、その一角にあるこの店は、常連らしきお客が細くも途切れない、渋い喫茶店。一人だったのに、てきぱきしたお姉さんが「よかったらテーブル席へ」と通してくれた。4人掛けの、ちょっと低くて少しベタッとしたテーブル、かたいイス。

クロックムッシュとかベーグルサンドとか、キャロットラペとか。はいオシャレですよ~という名前がついた朝食だって、食べたことがある。店内だって街並みだって、店主がDIYでつくりました、みたいな雑誌で特集が組まれていそうな場所だったり、朝のビーチやネオンが輝くニューヨークのタイムズ・スクエアだったことだってある。

なのに。私は一等しあわせだった。

朝、適当に目が覚めた時間に起きた。むくっと起き上がり、着替えた。適当に手に取った服ではなく、これだな、というのを選んだ。家にあるコーヒーと牛乳で牛乳入りコーヒーを作るのではなく、顔を洗い化粧をし、鞄に財布と手帳をつめて、傘をもって玄関を出た。

些細なことだ。毎日のこと。人生の転換点を作るようなことでもない、日常の中の小さな選択。それを、「私が」選んでみることをしている。

たったそれだけなのに、なんということか、体の中心の、上のあたり、ちょうど肺や心臓があるあたりにじわじわと、あたたかさが広がっていった。シナモントーストを千切る手を止め、じっと味わう。じわじわ。んん……これはもしかして、「安心」というものでは?と思い至る。溶けてきたクリームをカフェ・オレに混ぜていく。ちょっと心臓の音が元気になったような気がする。

後ろの席からは、まだ言葉にならないような小さな子の大きな声が聞こえ、店内にはいかにも昭和生まれといった風情のおっちゃんと、仲が良いのかどうなのかよくわからない老夫婦と、耳にイヤフォンを指して居眠りをしている大学生風の男子。どっちかというと私が好きではない光景。それなのに私の身体は確かに「安心」を、ひょっとすると「幸福」すら感じている。

それはかつて「旅先」にしかなかったものだ。ここではないどこかにいて、私のことを誰も知らず、立ち去れば後は残らず、見たことのない景色や、特別と「される」場所にしかないもの。時間やお金やその他をかけて、特別に手に入れることのできるもの。それが今、ここにある。

切ない。私のとても大切だった特別が、ひとつ、形を変えたこと。あの形での「旅」はもう、私には訪れないのだ。そうして、全ての瞬間を「旅」として生きていくことがもう始まっている。「毎日が旅」だなんて、なんて自由で嬉しいんだろう。ずっといつまでも終わらない「旅」があるなんて。

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