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虫は朝をおそれる
虫の画像は出てきません。
テレビのADをしていたころの話。
一軒家のオフィスで10時くらいに泥が崩れるように起床し、色んな所に電話をしてメールを送って怒られて、頭も良くないのに資料を読んでまとめて、烈火のごとく怒られて、という暮らしをしていた。
朝ごはんを食べるのは13時ごろ。コンビニで買ったsomethingを頬張り、昼食を食べるのは20時ごろ。夕食を食べるのは25時で、寝るのは29時。
たいていオフィスのイスか床で寝ていた。
オフィスに床暖房が導入されて、文明の利器の偉大さに驚いた。床に寝そべってすぐ寝てしまう。翌朝身体がバキバキになったとしても、心地よい眠りの入りは本当に幸せだった。
家に帰るのは週1~2回。始発で着替えを取りに行くか、終電で帰って翌日起きたらすぐ出社するかの二択。365日330日以上働いていたと記憶している(帳簿はないので違うかも知れません。記憶が違ったらすみません)。
虫になったっぽい話
丁稚奉公みたいな生活をしている私に、ある日家族はこういった。
お前は三大欲求だけで生きているのか
三大欲求とは、いうまでもなく、食欲・睡眠欲・性欲のことである。
家族に性欲は晒していないと信じているが、そこは良いとして、
「健康で文化的な最低限度の生活」を送っていると思っていた私は大いに憤慨したのである。
「私は文化を愛しているし、思慮もある。三大欲求的な本能のみで生きているなんて、虫と同じではないか」と。
ときは2012年、『HUNTER×HUNTER』のキメラ=アント編が終わった頃(らしい)。
今であれば、家にいても食事か寝ているだけで、家族として成立しないという意味だったと理解できるものの、当時はなんせ、眠いのである。沸点が低下して、まさに虫であった。
虫になることが怖かった
言った方より言われた方が強く記憶に留めるのはよくあることで、
およそ10年たった今も相当根に持っている。
そして、虫であることに激しく反発していた。
なぜなら、私は寝ることが嫌いである。寝ている時間は無駄だと思っている。寝ずに活動すれば一日12時間労働していようと12時間は余暇に使うことができるのだ。寝ない人間に進化したい。
しかし、そう簡単には進化しない。寝ないで余暇を楽しもうとしても集中力は低下して、文字が読めない。映画も何の話をしているのか理解できない。文盲のようになってしまう。睡魔に耐えることで楽しめることは殆どなかった。結果虫であった。
そうこうしていつしか「私は虫である」と否応なく自覚したわけである。
※注釈:家族は私が「虫である」「虫のようだ」とは一言も言っていない。なおかつ「虫と言いたいわけではない」と弁解までしていたので、もはや妄執でしかない。
虫といえば『変身』
さて、虫であることを(誰に言われたわけでもなく勝手に)認めた私は、虫から卒業すべく、しかし虫であると自覚してそのことで人に迷惑をかけぬよう生きてきた。
虫なのだから、もっと思慮深く行動しなければいけない、
虫なのだから、もっと謙虚にならなくてはいけない。
そんなことを思いつつも、そもそも短絡的で、自制心の弱い私は、何かしらの与太話の類で、友人知人に「私は虫である」と自虐的に語っていた。
すると、ある文化的な知人から「私は虫ですって、カフカかと思いました」というコメントをいただいた。
なんと、カフカの『変身』とは文化的ではないか!(文化的とは!)
▼変身の青空文庫はこちら
『変身』は、ざっくりいうと、グレーゴル・ザムザという青年が、朝起きるといつのまにか虫になっていて、大変だ大変だとテンパって、あれこれしているうちに最終的に死ぬ、という話である。
たしかに私は変身を読んでいたし、なんとなく虫が嫌な理由というか、根源的な拒否感は『変身』にあったのではないかと思考を巡らせたのである。
変身=明日資産を失うかも
ザムザは、朝起きたらいつのまにか虫になっていたことで、それまでの肉体や人間としての営みを失った。いつの間にか失うことはすごく怖い。
私は、肉体を失うことは想像しないまでも、スキルや関係性を失うことを過剰におそれていた。
明日起きたら、ブラインドタッチができなくなっているかも知れない。
明日起きたら、アフターエフェクトの使い方を忘れているかも知れない。
明日起きたら、カメラの操作を忘れているかもしれない。
明日起きたら、文章がかけなくなっているかもしれない。
明日起きたら、(虫だけに)家族にガン無視されるかもしれない。
人間の特徴は忘れることである。忘れることは制御不能なフシがある。人間関係や技術など無形の資産は明日には失われているかもしれない。
そういうことをめちゃめちゃ気にして、わりと怖がって、だから寝ることが怖かったのである。
虫=変身=無形の資産を失う
さて、そろそろお開きの時間にしたい。
私は、スキルや人間関係など、無形の資産を失うことを恐れていた。そういった資産がなにもない状態のことを「虫」と捉えていて、なおかつ「睡眠」によって資産が失われるリスクがあると捉えていた。
「はじまりの朝」なんて清々しい気持ちはまったくなくて、朝失うリスクにビビりつづけ、失っていないことを安堵する日々を送っている。
しかし、私よ、考えてみてほしい。本当に三大欲求のみで生きている虫だとしたら、そういった心のわだかまりはなく、もっとシンプルに生きているのではないか。
毎晩、翌朝の変身をビビり、毎朝、変身していないことに安堵する。
この、営みってそもそも人間っぽくないか? と。
嫌ならさっさと観念して虫になりたまえ。
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