見出し画像

親の心子知らず

学生時代から書き続けているファンタジーもの「星のかけらを集めてみれば」より初公開の短編を。サイトに掲載している「剣舞祭」の前日譚です。
もし気に入ってくれたらシリーズ作品を読んでいただけると嬉しいです。


「お母さん!」
 クレンの息子ラッセルが、息を切らしながら駆け込んできた。母親に良く似た面立ちの彼は、確か今年で八歳。頭に巻いた青いバンダナがトレードマークの、活発な男の子だ。
「あ、レイハールおば……お姉さん、こんにちは!」
 レイハールの姿に気付いたラッセルは、ちょっと口ごもりながらも元気に挨拶をした。辛うじて禁句を呑み込み、ぺこんと頭を下げる。
「はい、こんにちは」
 こめかみのあたりがピクつくのを感じつつ、努めてにこやかに返すレイハール。そのことに気付いたらしいクレンは、苦笑しながら息子に声をかけた。
「どうしたの、そんなに慌てて」
「あのね、フェルトさんがね、今年は前夜祭から泊まりにおいで、て。ね、行っていいでしょ?」
 知り合いの村で例年催される祭りのことだ。昨年は体調を崩して本祭にすら参加出来なかっただけに、ラッセルはすっかり興奮した様子で、母の膝を両手で揺するのだった。
「課題はちゃんとやったの?」
「うん、終ったよ。ほら」
「……どうやら、ズルはしていないようね」
 差し出されたノートに一通り目を通すと、クレンは立ち上がって、戸棚から包みを取り出した。手提げ袋に入れて、ラッセルに手渡す。
「これ、フェルトに持って行って。みんなで食べて下さい、て」
「いいの?」
 ラッセルが顔を輝やかせた。
「くれぐれもお行儀良くするのよ」
「はーい! やった!」
 ぴょこんと跳ねて喜びをあらわにすると、そのままの勢いで再び駆け出すラッセル。と、リビングの入口で気が付いたように立ち止まると、レイハールを振り向いてぺこりとお辞儀した。
「おじゃましました。ごゆっくり」
「ありがとう。楽しんでいらっしゃい」
「はーい。じゃっ」
 足取りも軽やかに奥へと引っ込むラッセルの後姿を見やったレイハールは、ひと口お茶をすすって話題を戻した。
「良い子に育ってるじゃない。改まって社会勉強させる必要もないと思うけど?」
 それは正直な感想だった。ラッセルには変に人見知りするところもないし、身にまとったマナも澄んでいる。クレンほどの使い手に学んでいることを思えば、魔導学院ヘ助手見習いに出す必要性があるとは思えなかった。
 クレンはしばし迷う素振りを見せていたが、やがて諦めたように嘆息すると、
「……あの子、嗅ぐのよ。においを」
 と言った。
「え?」
「ちょうど狐人スマリの子が初対面の相手にそうするみたいに。彼らに溶け込めているのは喜ばしいことなんだけど、行動まで狐人スマリ染みてくると、さすがにこの先が心配で」
 クレンのその言葉に、レイハールは口元の笑みを消す。
 ここトーレイの砦には、ラッセルと同じ歳頃の子供は一人もいなかった。そのため、近くに暮らす獣族、狐人スマリの子達——件の村の住人——がもっぱらの遊び相手だという。察するに、彼らとは相当に馴染んでいるらしい。
 異種族と自然に接せられるのは素晴らしいことだ。とはいえ、それで同族との付き合いに支障が出るようでは、確かに問題だろう。
 レイハールが教鞭を取るホイールには、尖耳人トカリ丸耳人マールといった人族はもちろんのこと、獣族や亜人など多彩な種族のヒトが暮らしている。比率は概ね標準値だろうか。バランスという意味では最適な場所と言えた。
「……確か、ポーに空きが出るはずだから、帰ったら話してみるわ。嫌とは言わないと思うけど、返事はそれまで待ってもらえる?」
「ありがとう。悪いわね、急なお願いで」
「クレンが突然なのは昔からだから、もう慣れっこよ」
「あちゃ、参ったなぁ」
「ふふ」
 ようやくおどける余裕の戻ったクレンに、レイハールも笑った。
「でも残念ね。先約がなければ良い話だったんだけど」
「ね、どんな子なの?」
「女の子よ。昔、お世話になった人のお孫さん。働き者で料理が得意なんだとか。今から楽しみ」
 それに、記憶に間違いがなければ、ラッセルとは同い歳のはずだ。良い友人になれるかもしれない。などと思っていると、
「ナーシャがいない日の家事を任せられそうで、良かったわね」
 クレンがにたりと笑いながら言う。ナーシャというのは、レイハールの官舎でメイドのようなことをしてくれている小熊猫族コロパンクルの女性だ。初等部の学童時代から何かとお世話になっているナーシャは、二人にとってホイールのお母さん的存在でもある。
「そんな下心はないわよ」
 レイハールはむくれた。クレンの言葉は、土爪族モーラのユンを加えた“豆台風三娘トリオ”の中で唯一人、独身を貫いているレイハールへの当てつけなのだ。
「本当?」
「こう見えても、今は孝行娘で通ってるんだから。休みの日に苦労させるほど任せっきりにはしてません」
「はいはい」
 その反応にクレンはくすくすと笑った。変わらないわねー。言葉には出さないが、自分を見つめるまなざしがはっきりとそう語っている。
 毎度のごとく乗せられてしまったことに気付いて、小さくため息をつくと、レイハールは話題を変えた。
「ササラちゃんは元気?」
「ええ。何か悩み事があるみたいだけど、『身体は健康そのもの』て手紙が昨日届いたわ」
「確か、パーケンに居るのよね。十五になったんだっけ?」
「そうよ。あれからもう十五年よ。あなたやユンにはいつできるのかしらねー」
 うっ。ブーメランよろしく戻ってきた題目に、言葉が詰まる。先年ポーと結ばれたユンはまだしも、独身のレイハールには高すぎるハードルだ。
「……お願いだから、その話はここまでにして」
 レイハールの白旗宣言に、既に二人目を八年も前にもうけたクレンは、余裕そのものの顔で笑うのだった。
「お母さん!」
 そこへ、リュックサックを背負ったラッセルが再び駆け込んできた。ぱっと両腕を広げて風のブレーキをかけると、
「お母さん、ぼく、そろそろ行くね」
 言いながら、両手でショルダーを掴んでその場で足踏み。
「忘れものはない?」
「うん。フェルトさんへのおみやげも、ちゃんと持った」
「途中でつまんだりしちゃダメよ」
「そんなことしないよぉ」
 つんと額を突くクレンに、くすぐったそうに笑って応える。そうしてレイハールにぺこりとおじぎしてみせるのもつかの間、「行ってきまぁす!」と元気な声を残して、勝手口へと飛ぶように消えていった。
「さすがは筆頭豆台風娘の息子。嵐さながらの賑やかさだわ」
 先ほどの仕返しとばかりに揶揄するレイハール。
「もう、レイったら」
 苦笑するクレンは、だが、勝手口の方に視線を向けたまま振り返らなかった。日頃から赤杉セコイアの森を飛び回り、狐人スマリの子供達と冒険を繰り返すラッセル。実に活動的な子だが、だからこそ、母親のクレンとしては不安を感じることが多いのだろう。
 もっとも、レイハールに言わせれば、今のラッセルは出会った頃のクレンにそっくりだ。容姿や性格はもちろん、身にまとったマナを含めて。たぶん、本人達が思っている以上に。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。今日も、これからも。なんたってラッセルくんは、あなたの子供なんだから」
「レイ……」
 親の心子知らず、と言う。独身のレイハールはもちろん、親の心というものを味わったことはない。でも、子供はそんなものを吹き飛ばして大きくなるのだと、確信を持って言えた。
 他ならぬ自分やクレンがそうだったのだから。
「……そうね。んー、せっかくあの子もいないことだし、今夜は思う存分、羽目を外すかぁ」
「そうそう、その意気」
 囃し立てるレイハールに、クレンがぺろっと舌を出して応える。
「ちょっと早いけど開けちゃう? お父ちゃんが秘蔵の忘れたワイン」
「いいわね。——バレる前に?」
「もちろん」
 僅かに秋の気配を漂わせた風に乗って、かつて子供だった二人の笑い声は、夜更けまで軽やかに流れていった。

おしまい

※有料設定してはいますが、どうかお気になさらず。感想やリアクションをいただけるだけでも嬉しいです。

ここから先は

0字

¥ 150

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?