皺の深みに惹き寄せられて

老人が好きなことに理由はなかった。

モノを選ぶ時は
機能性よりもデザインで決めるのが
イラストレーター(墨絵アーティスト)の父と元スタイリスト(現物理的な意味で大黒柱)の母に育てられた環境で定着していた。

日本人の特徴で
多数の人と同じだと安心する精神は
学校や社会に出てから感じるもの。
親や育てられた環境では
自分から惹かれるもの、惹かれないものが
本能や生理的にあるはず。

同調圧力は個性を殺す。

かと言って常識とのバランスも
世間では必要とされる。

私は32年間生きてきた中で
何が好きか、夢中になったかと考えると
真っ先に"老人"が出てくる。
その中でも特に"おじいさん"

これこそ気付いたら好きだった。
見た目で。

それは自分の祖父、祖母だけに
収まらなかった。

波長も合うのか
幼少時代、歯医者の前で突っ立ってたら
知らないおじいさんに
「頭撫でていいですか?」と声をかけられ
撫でてもらえたことを憶えている。
母も何も不審に感じていなかった。
そんな母でよかった。

小学生の時も
遠足の行き帰りのバスで
おじいさんを見つけて手を振ったり
自由研究では"さとるじぃさん"という
オリジナルキャラクターをつくり
絵本、3Dアートなどシリーズ化した。
小学5年生になり
塾に行く為の連絡手段として買ってもらった
携帯電話も便利なことにカメラ付きで
街のおじいさんを撮り納めていた。

自分が歳を重ねるにつれ
好き度も増している。

今でもふとした瞬間に老人を見つめている。
街でも目が追いかけている。

決して恋愛感情ではない。
愛ではあるが。
癒しであり
年輪オアシス。

理解してもらえるのは
赤ちゃんや動物を
無性に可愛く感じるのと同じ感覚。
可愛い〜と心臓が搾られる。
恋ではないのに。

私の中では特別ではないことが
特別に好きだった。

人は見た目じゃないとか見た目だとか。
難しいことは考えず
私は会った瞬間の直感と
そこから滲み出る人生の色気で
大体を感じる。

歳を重ねて懸命に生きて生きて
生き果てている姿は
ただ息をしているだけで美しい。

それを魅力と思うのが
当たり前だったから
"老人彫刻"と四字造語を趣味特技欄に
必ず書くようになり
「何故老人が好きか」と
訊かれるようになり
本能に身を任せただけなので
理由なんてなかったが

粘土で老人をつくるようになり

皺の年輪の魅力の深さは人生なんだと
語るようになった。

そしてなんだか訊かれるのが
最初は不思議でしたが
今では心地が良い。

そうして"老人をポップに"を
私のひとつの表現のテーマとして
粘土での"老人彫刻"で皺の深みを
爪跡と爪楊枝で刻み
"老人イラスト"で皺の細かさを
ペンを走らせ
具現化している。

また掘り下げたことも
私の今までの様々な心拍リズムも
書いていきます。

これだけ老人について書きましたが
役者をしております。


この地上で感覚で息をして32年目。

ようやく書いてみた、note。
特急電車の振動を感じながら。

香衣(カイ)


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