松本紹圭 × 木村共宏 対談 「Withコロナの寺院運営」 (第4回・最終回)
コロナ時代の寺院運営について、松本紹圭さんとの対談記事が"未来の住職塾NEXT"のnoteに掲載されました。こちらでも掲載を許可いただきましたので転載させていただきます。※対談はzoomを利用して行いました 。
家族経営寺院の提携
松本 ごく一般的な家族経営的な規模のお寺は、どうしたらレジリエンス(註:外的な衝撃にも折れることなく、立ち直ることのできる「しなやかな強さ」のこと)を高めることができますか?
木村 まずどこから手をつけるかですが、最初に絶対に捨てられないものと捨てていい、というか変えていいもの、の切り分けが必要です。非常時に備えるためのBusiness Continuity Plan (事業継続計画/略称:BCP)においても、絶対に死守するものとそうでないものを最初に分けます。
かなり踏み込んだ話になりますが、家族経営の田舎のお寺に関しては、たとえば家族経営は変えられないか?と自問することができるでしょう。存続することを第一と考えるのか、家族経営を第一と考えるのか、どちらの優先順位が高いのか。寺院の存続を最優先と考えた時に、他のところを変えないとそれができないのであれば、聖域なく変える覚悟を持つべきだと僕は思っています。
いきなり家族経営をやめるとは言わないまでも、たとえば周辺のお寺とチームを組むなど協力関係を築き、共同でいろいろな取り組みを行うとか。これも、人手が足りないから一時的にヘルプを頼む、ではなくて、もっと組織的で継続的な協力関係を築くことが必要かと思います。企業で言うところの、まずは合併する前に提携をする、という感じですね。しっかりと提携をしていって、地域の皆さんのお役に立てるようにするということですね。
田舎の家族経営寺院が単体のお寺として十分に収入を得るのはかなり難しくなってきていますし、その収入がこの先、増える見込みも薄いという状況を見ると、方向性としては二つあると思います。家族経営を続けるならば、インターネットもある時代だから、既存の檀家さん以外に、バーチャルの空間で新しい取り組みを進めて域内以外のファンを形成することで、なんとか収入も増やしていくという方向が一つ。域内でやろうと思うのであれば、その域内で月参りや法事だけでなく、成年後見人だったり、これまでのお寺がやってきたことに限らない新しい価値を提供していく必要があります。それをするには単独では厳しいので、他の寺院と提携していく必要があると思います。
成年後見人などは住職には向いていると思いますが、一人の住職が成年後見人も葬式も月参りもやっていたら、当然スケジュールがバッティングして回らなくなります。そうならないように、複数の周辺のお寺で提携して、役割分担したりカバーしあえるようなチームを作るような必要が出てくる。
いずれにせよ、お寺のレジリエンスを高めるためには、イゴール・アンゾフのマトリックスで言うところの「新規顧客の方向に挑戦するか、新規サービスの方に行くか」ということを、お寺もやっていかなければならないのかなと思います。既存の活動ももちろん大切ですが、家族経営のお寺の今後については、やはり変わっていかなければいけない部分が大いにあるでしょうね。
松本 踏み込んだアクションを起こそうとすれば、個々のお寺で完結する取り組みという枠を超えて行く必要が出てきますね。
木村 大前提として、家族経営の田舎のお寺が、その形態のまま生き残ること自体、僕はかなり厳しいんじゃないかなと思っています。企業も市町村もかなり合併してきました。この三、四十年、世の中を見渡して合併が全く進んでないのはお寺ぐらいですからね。聞くところによると時宗は進めているようだけれど。こう言った状況も考えると、逆に家族経営のお寺という形態を残すことの正当性というか、裏付ける理論はちょっと見当たらない。同じ地域である必要はないけれど、早目に10カ寺ぐらいで連合するのがいいと思います。
松本 市町村合併に近いかもしれませんね。「おらが村の寺」という意識もが田舎の方に行くとあったりもして、住民感情とどう折り合いをつけるかが難しいところです。
木村 そこは避けられない生みの苦しみだと思います。苦しみもなく、いい方向に簡単に変われるというのは、なかなかないのではないでしょうか。
松本 誰もその役を引き受けたくない。誰かがやってくれたら嬉しいけど、自分からは言いだせない。一度流れができてしまえば、ウチもそろそろ考えなきゃね、とか賛同者も出てくるでしょうが、今はまだ皆お互いに立ちすくんでしまっている状態じゃないでしょうかね。
木村 その通りでしょう。ただ、体制を整える時期に来ているとは思いますね。いずれにせよ、今世界がこのような状況になって、先ほど話したような意識の変換や転換も起きうる中で、人々が生活の安定や、不安を払拭できるものを求めている。それに対して、都会と田舎をつなぐことはレジリエンスを高めるのに役立つし、その役割をお寺が担うことは可能だと思います。
松本 そこにお寺が貢献できれば、お寺の存在価値も上がりますよね。
今のような激動の時代に、お寺を預かる人が磨くべきスキルは、木村さんの目から見てどのようなものがありますか?
求められるスキルセット
木村 僕はビジネスの世界にいたのでそちら側からの話になりますが、お寺の世界にもビジネスの手法というか、考え方で役に立つものはあると思います。僕は仏法をビジネスに役立てたいと元々考えていたけれど、逆もあるなと思いました。
お寺にマネジメント、というと反発を招きやすいので気を使うようにはしていますが、自分としてはお寺の世界とか、ビジネスの世界とか、業界の垣根、境界線をあまり感じないんですよね。どの世界でも、所詮人間がやっていることだから、本質的に変わらないものがあると思っています。地方創生にしたって、企業にしたって、お寺にしたって、根本は同じだと思います。やっぱりそこにいるのは人間だから。
それで、スキルについてですけど、まずは判断力。論理的な判断力かな。判断と一言で言っても、実際のところは非常に複雑ですけどね。例えば企業の場合、一応の目的である利益だけを考えて、本当の目的である公器の部分を損なってしまわないようにどうバランスを取るか、という難しい判断が要求されます。その判断のためには根底に確固とした価値観を持つ必要が出てきます。こうなるとスキルという言葉だけでは収まらないかもしれません。
僕は、住職には企業でシゴかれる経験があってもいいなと思っています。鉄は熱いうちに打てと言いますが、住職に限らず、人は若いうちにそういう経験をした方がいいと思う。その中で、ファクトベース(事実に基づく)を徹底した論理的思考力を養ったり、自分のエゴと向き合ったり。自分がしたい「Want」と、今するべき「Should」の違いを見極めて、我欲を抑えて行動できるようになる、とか。これはパブリックマインドを養うことにも繋がりますね。
会社で揉まれることで、こうした経験が得られるとは思います。だから一つの選択肢として、若い跡継ぎのお子さんには就職を勧めて、それも割と厳しい環境で鍛える、というのもあると思います。就活の相談、乗りますよ(笑)。僕は人事部にいたこともありますので。
松本 木村さんは三井物産時代、人事部で人材育成に携わった経験もおありですよね。「お寺の子弟は一度はビジネス界、それも厳しいところを経験した方がいい」と言われますが、ではその厳しいところの一つである三井物産のご経験から、なぜそこに入ったら人は育つのか?そこにどんな秘密があるのか?その辺ちょっと聞かせていただけますか。
木村 自分に照らして言うと、ちょっと抽象的かもしれないけど、やっぱり甘えを一回断ち切るというか、断ち切らされる、というのはあるかなと思いますね。ある時上司に、「この件は99%無理ですよ」と言ったんですよ。だからやめましょう、って意味ですよね。そしたら上司に「じゃ、その1%がどうしたら実現できるか考えろ」と言われました。その時、ああ、自分は甘かったな、1%の可能性を自分でゼロにしてしまうところだった、と気づかされました。
それと、三井物産では「評論家は要らない」と言うんですよね。ウンチク垂れてばかりいないで、とりあえず動きなさいと。もちろん考えなくてはいけないんですけど、行動するために考えるわけなので。行動しないのに考えを述べているだけの人間は相手にされなくなってしまう。考えるのは大事だけど、行動はもっと大事ということですね。
そのためにもやっぱり論理的思考は大事ですね。それができていると、突き詰めて考えることができる。それが早い行動に繋がる。結局、結論をしっかり持ってるか、というところです。新入社員のころ、よく「結論から言え」と指導されました。前置きを言ってると、「結論はなんだ?!」と突っ込まれ、しどろもどろになったこともあります。お坊さんには結論を言わない人が多い印象があります。結論が要らない話もあるでしょうけど、必要な時も多いはず。結局、論理的に考えるから結論が見えてくるわけなので、そういう意味で論理的思考力は重要かな。
論理的思考力があれば、こういった危機の時も自分なりの結論を持てます。今考えられるベストの結論はこうですよ、と。そうなるためには結構鍛えないといけない。論理的な思考にはファクト(事実)が重要ですが、ファクトがちゃんと拾えているか、論理的に間違っていないか、そういうことを指摘してくれる人も必要です。たまに自分のやりたいことを正当化するためにファクトを組み上げて理屈づけする人もいますが、そういうことも矯正してくれるような、スパーリングパートナーみたいな人がいると良いです。というのが、論理的思考のお話。
あとはやっぱり、自分のキャパシティ(限界)の殻を破り続けていく経験が大事です。自分のキャパが100のある時に、110とか120に取り組むことで殻を破ることができて、自分のキャパが広がっていく。一気に150やると壊れちゃうけど、この110とか120とかを繰り返しやりながら、ちょっとずつ殻を破らせてもらえるような厳しい環境に身を置くことは大事だと思います。
僕は、こういう経験をお坊さんは本来できているんだと思っています。お山に篭って毎日規則正しい生活をして、いっぱいお経本を読んで理解して。論理的に考えて真理を追求して。お寺でしっかりと勉強していればそういう論理的思考は身につきますよね。毎日の規則正しい生活は、いろんな部分で忍耐もあるでしょうし。で、考えて行動する。お坊さんはかなりの部分で自己鍛錬ができてるのではないかなと思っていました。
だからスキルというか、力をつける場というのは、必ずしも会社ではないのかもしれないですね。僕にとっては会社が良い修行の場だったというだけです。あるいは必ずしもお寺でもないのかもしれない。今いる場所でいいのかな。
うん、何かそんなところかな。
松本 ありがとうございます。多くのお寺に参考になるお話が聞けたと思います。6月に開講する「未来の住職塾NEXT R-2」にて、今年も木村さんと一緒に講師をするのが楽しみです!どうぞよろしくお願いします。
(End)
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