Gfriend(ヨジャチング)少女達のメタモルフォーゼ

kpopアイドルの話です。

昨日、KpopアイドルグループのGfriend(ヨジャチング)の新曲がリリースされた。題して”Apple”

ぼくが、この6人組アイドルグループを意識したのは、4年前、2016年の6月だった。上海に旅行していた時、ホテルの部屋でテレビを付けると、韓国のミュージックバンクという音楽番組をやっていた。

垢抜けない制服姿の少女たちが、コンサートホールのロビーで、ピアノの伴奏にあわせて歌い、曲の途中で手をつないでドアを押し開け、まぶしい光りのなか、満員の会場に走りだしていくという演出に、心を奪われた。すぐに、Gfriendというグループ名と、曲名Roughをメモし、帰国するとさっそくyoutubeで検索した(上海ではgoogleは観られないから/方法はあるらしいが一介の旅行客には無理)。

彼女等は2015年、韓国でも弱小プロダクションからデビューした。雨漏りのする練習場で激しいトレーニングを積んだ。平均身長が167センチというスタイルの良さや、切れのあるダンス、指先まで揃ったフォーメーション、高い歌唱力と、素晴らしい実力を備えていたが、芸能界における政治力の弱さゆえか、デビューしても実力に見合った結果は出せなかった。だが、とあるラジオ番組の公開収録時のステージを、ファンが撮影した動画が評判を呼んだ。

雨に濡れたステージで、幾度も転倒しながら、最後まで笑顔でパフォーマンスを続けるプロ根性が感動を呼び、たちまちスターダムにのし上がった。

デビュー当時、彼女らのキャッチフレーズは「パワー清純」。初々しいあどけなさと、裏腹のパワフルなパフォーマンスが武器だった。”Glass Beads(ガラス玉)”"Me Gustas Tu(今日から私たちは)""Rough(時をこえて)"は学園三部作と呼ばれ、スクールガールの姿での、躍動感溢れるダンスと、どこか切ない曲調が、はかなく、それ故に尊い、尊いがゆえに心に深い傷を残す残酷さを帯びた「青春」を演じていた。

その「青春の残酷さ」は、彼女らが20代を越え、もはや制服をコスチュームにする年齢でなくなってから、意識的に演じられるようになった。2019年の”Sunrise”と、2020年の"Cross Roads"で、彼女らは、若く、何も知らなかった時の友情が、時間の経過と、個々の加齢による変化(成長とは限らない)で、もろいガラスのように壊れていく様を演じた。


学生時代、無邪気に遊んでいた「仲間」が、社会に出ることで壊れていく。特に、年齢を重ねる度に、妻になったり、母親になったり、精神だけでなく肉体もまた「変化」を余儀なくされる女性のほうが、加齢がもたらすストレスは、より強いのかもしれない。

実際、Gfriend(ヨジャチング)も、売り上げという点で観れば、制服姿で歌い踊っていた時期ほどの勢いはないらしい。アイドルに、「成長」よりも「変わらない」ことを求めるのは、日本だけじゃないのだろう。

それでも、人間は時間とともに変わっていかなくてはならない。

かつて、教室や体育館で、無邪気に遊んでいた少女たちは、今や、禁断の果実を口にし、「堕落」のリスクも引き受けて、次のステージにのぼる決意を表明した。年齢に相応しい「成長」「成熟」が、アイドル(特に女性)というジャンルで結果を出せるのか。

冒険は始まったばかりだ。





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