映画「ミナリ」とブレイブガールズの逆走

もう旧聞に近いけれど、2021年のアメリカ・アカデミー賞で、ユン・ヨジョンが助演女優賞を受賞した。

昨年のアカデミー賞では、ポン・ジュノ監督の「パラサイト」が、作品賞、監督賞、外国映画賞、脚本賞と四冠に輝き、韓国映画の勢いがついに映画の本場でも認められた印象があった。

今年の、ユン・ヨジョンの受賞は、本来、「パラサイト」とは違う文脈で語られるべきだと思う。何より、彼女が出演した映画「ミナリ」は、アメリカ映画だからだ。

ただ、もしこの映画が20世紀に造られていたら、と想像すると面白い。例えば「ラスト・エンペラー」(1987年)は、清朝最後の皇帝・溥儀が主人公だが、ジョン・ローン以下アジア系俳優たちはみな、当たり前のように英語で喋っている。

もっと凄い例を出すと、1965年の映画「ジンギスカン」は、なぜかエジプト人のオマー・シャリフがモンゴルの英雄を演じ、脇役もスティーブン・ボイド、ジェームズ・メーソンと白人俳優が固めている。

1963年の、義和団事件を描いた映画「北京の55日」では、その他大勢の中国人はアジア系のエキストラが使われているが、せりふのある重要な脇役、例えば西太后以下の清朝要人は、みんなイギリスのシェークスピア俳優(フローラ・ロブソン、レオ・ゲン、ロバート・ヘルプマン)たちで、ただ、日本人の柴五郎大佐役だけが日本人の伊丹十三だったりする。

そそて21世紀も20年が過ぎ、自らも韓国系移民だったリー・アイザック・チョン監督が脚本も手掛けた「ミナリ」は、韓国人役は韓国系アメリカ人(スティーブン・ユアンおよび2人の子役たち)と韓国人(ユン・ヨジョン、ハン・イェリ)が演じていて、言葉も、基本的には韓国語だ。アメリカ人は字幕つきの映画は見ないと言われていたのは過去の話らしい。

そのことは、アメリカの映画人や映画観客が、自国以外の文化をも受容する多様性を身に着けていることを示してはいても、韓国映画そのものの勢いとは関係なさそうだ。韓国人が2年連続でオスカーを受賞したことをもって「それに比べて日本映画は……」と嘆くのは、少なくとも今年のアカデミー賞に関しては、当たらない。

日本のメディアでは、彼女がブラッド・ピットをいじったり(エグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットに名を連ねているのに撮影現場に現れなかった)、「ブラピはどんな匂いがしたのか?」というぶしつけな質問にユーモアをもって、しかし毅然と言い返したことが話題になった(「あのね、私は犬じゃないのよ。においをかいだりしません」)。

ぼく個人はそれより興味を抱いたのは、ユン・ヨジョンさんの受賞スピーチの最後、彼女が半世紀前にデビューした映画の監督キム・ギヨンに言及したことだ。「彼は天才的な監督でした。あの世で喜んでくださっていると思います」と。(以下の動画の3:30~)

キム・ギヨン(김기영 1919~98)は、1950~80年代を通じて、韓国映画の巨匠の1人とされた人だ。特に有名なのは、1960年に監督した「下女」。ポン・ジュノ監督は影響を受けた作品の一つと語っているし、2010年には「ハウスメイド」のタイトルでリメイクされた。

一見、幸福そうな中産階級の家庭に、若いメイド(下女)が入ってくることで起こる悲劇を描いた。単なる男女の情痴ではなく、そこに現在にも通じる格差を持ち込んだことが、普遍的な人気を得ている秘密だろう。

ところで、キム・ギヨン監督は、この作品を幾度もリメイクしている。1972年の「火女」、72年の「蟲女」、82年の「火女’82」、84年の「肉食動物」。そして72年の「蟲女」が、ユン・ヨジョンさんのデビュー作だ。

第一作の「下女」で、中流家庭を破壊する下女ミョンジャ(イ・ウンスク)は、黒いワンピース姿が象徴するように、典型的なファム・ファタールだ。60年代、ヨーロッパ映画でとりあげられた小悪魔的な魅力で男を惑わせるヒロイン(日本でも加賀まりこの「月曜日のユカ」なんて映画が作られた)。彼女は、ある工場の女工だったという以外、どういう家庭に生まれ、どんな半生を送ってきたかは一切語られない。そのことが、彼女にミステリアスな雰囲気を帯びさせる。いわば「悪女」だ。

一方、25歳のユン・ヨジョンが演じた、同名のヒロイン・ミョンジャには、こうしたミステリアスな要素が一切ない。「下女」のヒロインが、彼女に惑わされた破滅する男性側主人公の境遇を描いた後に登場するのに対し、「蟲女」ではヒロインの前半生がビビッドに描かれる。女子高生だった頃、父親を亡くした彼女は水商売に入らざるを得ず、いやらしい中年男に金で買われ、ラブホテルで処女を奪われそうになる場面まで描かれる。

その後、生き延びるために入り込んだ中流家庭を、結果的に破滅させることになる彼女は、ぱっと眼を引くセクシーな美女ではないため、むしろ、貧しい境遇に生まれた、女性という弱い存在が(70年代の韓国ではなおさら)、サバイバルするために戦うことによって、男性社会を破壊させる痛快さすら感じさせる。(映画の冒頭は、精神病院の場面だ。患者の1人が言う。「ここにいる連中は、うるさく小言をいう女房のため、インポテンツになった奴らばかりだ」と)。

82年のリメイク「肉食動物」となると、こうした「弱い存在である女性」と「強いはずが女性によって破滅させられる男性」というテーマは、さらに明らかになる。主人公の中年男性(出版社社長)は、入り婿のため資産家出身の妻に頭があがらず、ひそかに水商売の若い女を妾にするのだが、2人の女の板挟みによって破滅するのだ。

ユン・ヨジョンのスピーチに戻る。彼女が言及したこともあり、幻の作品とされてきた「蟲女」は韓国でリバイバル上映されることになった。だが実は、ネット上ではこの映画を見ることができる。Youtubeに Korean Classic Filmというチャンネルがあり、Insect Woman という英語タイトルつきでアップロードされているからだ。

Korean Classic Filmは、毎年釜山国際映画祭を開催している釜山フィルムセンター(映画の殿堂)が運営しているチャンネルで、韓国語、英語、イタリア語の字幕付きで、植民地時代の貴重な映画から、20世紀の主な韓国映画の古典的作品を掲載している。

例えば、ユン・ヨジョンのスピーチを聞いた英語圏のシネフィルが、その作品を見ようとすれば、ちょっとネットを漁れば可能なわけだ。kpopや韓流ドラマのブームもあり、現在、世界各国の大学で、韓国語や韓国文化を教える講座が増えている。韓国映画を学ぼうとする学生は、こうしたチャンネルを通じて、過去の名作に触れることが可能なのだ。

少し前、韓国のバラエティ番組に出演していた大ベテランのイ・スンジェ(1935~)が、韓国の文化機関の聞き取り調査に応じている事を喋っていたのを見たことがある。植民地支配、朝鮮戦争、軍事独裁政権の弾圧や抵抗運動と、第二次大戦後も波乱万丈な時代が続いたため埋もれてしまった名作映画の発掘に、1960年代から数多くの映画に出演していた生き証人として、証言を残しているというわけだ。

日本では、戦前の活動弁士だった松田春翠が、マツダ映画社を設立し、戦争等で散逸したフィルム(映画史に残る傑作も少なくない)をこつこつ集めた。公的機関としてはフィルムセンターもある。だが、DVDを発売しているマツダ映画社の作品はともかく、フィルムセンターの収蔵作品は、東京の京橋にある上映会上に足を運ばねば見ることはできない。

もちろん、例えば日本映画のアーカイブを、公的機関が作ってネットで公開することは、著作権など越えねばならないハードルは高いだろう。黒字になるとも思えない。だがそうしたアーカイブの存在が、国際的に多くの研究者や愛好者を育てることは、日本の映像文化に対して寄与する部分は少なくないはずだ。(私自身、小学生のころにたまたま図書館で読んだ世界映画史の本に載っていた数々のスチール写真に魅せられ、動くところを見たいという欲求に突き動かされ、学生時代はリバイバル上映に足を運んだし、現在はネットを中心に発掘にいそしんでいる)

たとえばKpop。以前、少女時代は日本デビュー前から、ネットを通じてその楽曲に触れていたファンを数多く作っていたことを書いた。実際、kpopの楽曲のMVは、ネット上で無料公開され、多くのアクセスを稼いでいる。そのおかげで世界中のファンを獲得できた(もちろん、無料で公開されればファンを獲得できるほど甘くはないのだけれど)。

こうした、高いお金をかけた(日本の数倍の予算)動画を、惜しげもなく無料で公開することのメリットは、単にグローバルな人気を得るだけではない。例えば今年の春、デビュー以来11年目にして初めて人気が爆発したブレイブ・ガールズ(Brave Girls)の逆走劇もまた、こうしたkpop文化が生んだ副産物と言えまいか。

今ではよく知られているように、デビュー以来、なかなか芽が出なかった彼女らは、ついに解散を決意した直後、あるユーチューバーがネットにアップした1本の動画で人気に火が付き、現在でも音楽流通サイトの上位にあがっているほど、ブレイクした。

彼女らは、人気が出なかった時代も、軍隊への慰問公演を活発に行い、国民のほとんどが徴兵される韓国の男性たちの記憶に残っていた。ネットの動画によって多くの元兵士たちが彼女らのことを思い出し、さらにもっと多くのファンがその存在を知り、苦節11年(メンバーは全員入れ替わったが)というドラマもあいまって、ブームを引き起こした、いまや彼女らはバラエティ番組にひっぱりだこだ。

それが可能になったのは、彼女らが過去に発表した楽曲のMVや、軍隊での公園動画(軍隊のチャンネルが公開)がネット上に残っていて、愛好家が好き勝手に加工・編集する環境があったからだ。それがなければ、これほどの社会的広がりを得られたとは考えにくい。

日本の楽曲でも、1984年に竹内まりやが発表した「プラスティック・ラブ」が海外で評判を呼び、ついで70~80年代の、洗練された日本のポップスが再評価され、シティポップという名称が生まれた。現在のKpopにも多大な影響を与えている。ブレイブ・ガールズの「We Ride」なんかもそうだ。

逆走劇は、世界中の文化を豊かにする。それが可能な時代になった。目先の利益追求だけでなく、長い目で自国の文化を保護し、積極的に公開していくことが求められる時代なんだと思う。



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