見出し画像

東日本大震災で「仙台市の荒浜で200~300の遺体を確認」という誤報はなぜ生まれたのか。

東日本大震災が発生した2011年3月11日午後10時20分ごろ、衝撃的なニュースが全国を駆け巡った。「仙台市若林区荒浜1、2丁目地内で200~300名の遺体が発見されている」。

この一報で、全体の犠牲者が相当な数になると感じ、驚いた人も多いだろう。しかし、最終的に荒浜地区周辺で見つかった犠牲者は約180。結果的に200~300という情報は誤りだった。この数字が報道された経緯を振り返る。(河北新報社報道部・末永智弘)

記者会の要請に応じた宮城県警

地震発生時、私は宮城県警本部庁舎(仙台市)にある宮城県第一記者会(いわゆる記者クラブ)に所属していた。ただ事ではない事態になると直感し、県警広報課に「非常事態だから、県警に入った通報を参考情報として提供してほしい」と申し入れた。

通常の広報文は、チェックや決裁を経るため事故や事件の発生から発表まで1時間ほどのタイムラグが生じる。何が起きているか、どこの被害が甚大なのかを早く把握して報じたい報道機関にとって、いつものルートでの広報を待てないと判断したからだ。

事前の取り決めにない要請だったが、広報課は受諾してくれた。記者室にあったホワイトボードを入り口前の廊下に引っ張りだした。広報課は県警に入った情報の手書きメモを「参考情報」として張り出す。そうやって被害状況を把握し、報道に反映させる流れが出来上がった。

県警の災害警備本部に入りきれない職員が、ホワイトボードの情報をチェックする姿も見られた。

津波が沿岸部に到達した午後3時45分ごろから、張り出される情報が深刻さを増していく。

「南三陸署が3階まで浸水」
「仙台市の小学校に約600人が取り残されている」

次々と飛び込む情報は深刻さを増していった。テレビでは気仙沼市が火の海になっている映像も流れた。「いったい犠牲者はどれくらい出てしまうのか」。考えたくない事態を考えざるを得ない現実を前に、記者室はもちろん県警にも重苦しい雰囲気が漂った。

【写真】火の海となった気仙沼湾。東日本大震災の大津波の後、流出した油に引火した=2011年3月11日午後6時5分、宮城県気仙沼市

悲鳴に近い声が記者室に

そんな状況で張り出されたのが「仙台南署管内の荒浜1、2丁目で200~300の遺体が発見されている」との参考情報だった。

「ええっ!?」

「何だって!」

画像1

(写真上は宮城県警が2011年3月11日夜、報道機関に参考情報として出した資料)

悲鳴とも怒号ともつかぬ声が記者室で上がった。

それまで確認された犠牲者は十数人だった。一気にはね上がった。一斉に電話に飛び付き、会社へ報告する記者たち。私も「大変です!」と本社に連絡した。共同通信は号外級のニュースとしてこの情報を配信。テレビやラジオも報道した。

県警本部長だった竹内直人氏(63)は、この情報を公表するかどうか相当悩んだという。深刻な被害が次々と明らかになっていたが、まとまった犠牲者の確認は初めて。事実なら、県の災害対策本部会議で報告しなければいけない。会議は午後10時半に迫っていた。

「現場からの情報なのか?」

慎重に扱わなければいけないと考え、部下に確認させた。

会議へ向かう直前、「本部長、現場からの情報です」と報告があった。現場からの情報なら公表する必要があると判断、公表に踏み切ったという。

「大変なことになった」

竹内氏は当時の心境をこう振り返る。海岸に200を超える遺体が並んでいる情景を想像し、暗たんたる気持ちになったという。

夜が明け、荒浜にたどり着いた捜索隊は…

翌朝、仙台南署員が確認と不明者捜索のため現地へ向かった。がれき、津波による浸水に行く手を阻まれながら何とかたどり着いたが、200~300の遺体はなかった。もちろん犠牲者は発見されたが、まとまった数の遺体を確認できる状況ではなかったという。

衝撃的な情報は、結果として誤りだったのだ。

画像2

(写真は2011年3月12日早朝、荒浜地区に向かう河北新報社の取材陣)

混乱する中、伝言ゲーム状態に

なぜ、誤った情報が流れたのか。竹内氏は当時をこう振り返る。

「前線の警察官は被災の状況を伝えようと必死に無線を握る。でも、なかなかつながらない。つながったときは強い調子で話す。そんな状況で実際に見た情報なのか伝聞なのかが区別しにくくなった」
「無線は複数系統あり、電話による報告もある。受け手側も混乱していて、情報をメモして取りまとめる際に伝言ゲームのようになってしまった」

大災害時の情報収集の難しさを指摘する竹内氏。それでも情報発信に消極的になってはいけないと強調する。

「誤報を恐れるあまり、きちんと確認できない限り発表しない、と考えるのは違うのではないか。もちろん誤報にならないよう努めるが、大規模災害のときは警察に入った情報を広報し、状況を住民に知ってもらう必要がある」

県警の「誤報」、責められない

「荒浜で200~300の遺体発見」は結果として誤報だったが、素早い情報提供を求めた側としては県警を責めることはできないし、責めようと思わない。災害時の情報提供は極めて重要になる。どう発信するのが適切なのか。竹内氏が訴えるように報道機関も行政も考え、模索し続けることが大事だと思う。

画像3

(写真は住宅地が津波で流された仙台市若林区の荒浜地区=2011年3月18日)

【まとめ】

・災害時の情報提供は極めて重要

・ただし、直接確認した情報なのか伝聞なのか要注意

・積極的姿勢による誤った情報提供を責めない



<河北新報記事関連リンク>

「震災10年 あしたを語る」元宮城県警本部長 竹内直人さん(63) 遺体安置場所 知事に直談判|河北新報

あの日、防災庁舎で(1)震度6弱。「津波が来る」「ここは6mなら大丈夫だ」|河北新報

「あの日から」シリーズ 遺児(1) 高橋さつきさん 二十歳 母の面影探して|河北新報

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?