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応援団長は神になる。初の女性団長が誕生したバンカラ応援団の気風

 仙台市若林区にある元男子校の仙台一高と言えば、弊衣破帽のバンカラ応援団で知られる。その応援団に初の女性団長が誕生したと聞き、鎌形真咲さん本人に会いに行ってきた。なぜ、応援団長になったのか。いきさつは、4月10日の河北新報で紹介した。応援団の取材は初めて。彼女の話を聞くと、「へえー」と感心することばかり。旧制の学校の流れを組む伝統校に多いバンカラ応援団。そこでは、団長は神となり、生徒の前から姿を消すという「伝統」が受け継がれていた。

(生活文化部・越中谷郁子)

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徹底して姿を消す

「応援団長は神になる」。うそのような本当の話である。仙台一高の場合、初夏に開かれる仙台二高(青葉区)との野球定期戦が一つの山場とされ、新年度が始まると、団長は「神格化を高めるため姿を消す」のだ。

授業以外は部室にこもる。人に見られないように朝早くに登校する。校内を移動する際は、段ボール箱に隠れ、応援団幹部に台車を押してもらうという徹底ぶりだ。新入生への応援指導は幹部に任せ、自らは出てこない。定期戦を前に仙台市中心部で行うアピール行進のときに、初めて新入生らの前に姿を現す。そして彼らを率いて、二高とエールを交換するのだという。

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掟も数多く存在

応援団には先輩、後輩の厳しい上下関係はもちろん、守らなければならない掟が数多くある。団長は学ラン、幹部はボロランを1年中、着用する。冬でもはだしにげたを履く。暑くても寒くても、そのスタイルを貫く

取材の一環で、仙台一高と同じく元男子校だった仙台三高(宮城野区)で初の女性団長を務めたOGにも話をきいた。仙台三高では、見習いから一人前の幹部になるまで、手重流(てえる)という基本の演舞1000回、2種類の旗振り各1000回を各段階に応じてやり抜く試験をパスしなくてはならない。団長になるための試験はさらに過酷だ。

この3種類計3000回を休まずにやり通す必要がある。しかも、小さい机の上に立ちながら。そこから落ちると、最初からやり直し。「上半身、特に利き腕の肩にすごい筋肉が付く」とOGは笑う。一人前になるまで部室で目を開けてはいけない、横文字を使わない、といった約束事もある。

「現代人が理解できないのは当然」

現代の感覚からすれば、「そこまでやる必要あるの?」というのが大半の見方だろう。厳しい掟が、全国的に応援団のなり手不足の一因にもなっている。応援団事情に詳しい鳥取大の瀬戸邦弘准教授に聞くと、「応援団はいわばタイムカプセル。発足当初の人々の思い、魂が凝縮されており、現代人が理解できないのは当然のこと」との答え。そうか、高校に息づく応援団は現代のタイムカプセルだったのか

仙台一高の鎌形団長は応援団の魅力について「神となり、人のため、一高生のため、懸命に応援する。その姿には、しびれるものがある」と熱く話す。仙台三高のOGは「人を応援するには、厳しい試練を乗り越えた自信がないとできない」と言っていた。伝統、掟には、それなりの理由があるのだ。

代々受け継がれてきたものを、現代に合わないという理由だけで切り捨てるのは、どうなんだろう。瀬戸准教授が指摘するように「日本の伝統文化」「無形文化財」と捉えると、守るべき存在とも思えてこないだろうか。

現在はたった1人

鎌形団長は現在、たった1人で活動する。定期戦を前に姿を隠すと、応援団自体、存在しないことになってしまうというジレンマを抱える。神にはならず、どう団長として振る舞うのか。取材した私も気がかりだ。伝統に固執せず、そのときの状況、環境に合わせて柔軟に対応することも必要だろうと思う。今はただ、一緒にやろうという仲間が現れてほしい、と切に願ってい

ちなみに、仙台一高と定期戦で相見る仙台二高でも「応援団長は神になる」らしい。同校を通じて団長に取材を申し込むと、顧問の先生から「定期戦に向けて神になるので、人前で取材は受けないと思います」と丁重に断られた。

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【追記】
鎌形さんの最初で最後の定期戦(2021年6月1)での演舞の様子は別記事でも紹介しています。
仙台一高の女子団長、定期戦で凱歌を上げる|河北新報オンライン




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