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乃木坂46久保史緒里さんとの対談を通じて心強い気持ちになった話

東日本大震災は2021年3月11日に発生10年となった。

10年という時の流れに被災地では風化が危ぶまれ、若い世代への伝承が大きな課題となっている。くしくも10年というタイミングで、BLOGOSさんからの提案で、アイドルグループ「乃木坂46」の久保史緒里さんとオンラインで対談できた。被災地の宮城県出身である久保さんのやり取りを改めて振り返ってみたい。(河北新報社報道部・横川琴実)

少し、緊張した。

企画を提案されたのは約2カ月前。

家族や友人の中に乃木坂ファンがいることもあり、快諾した。全国区で活躍する宮城県出身のアイドル。どんな人だろう。震災に対してどんな思いを抱いているのだろうか。少し緊張しながら対談に臨んだ

対談は約1時間。記者と久保さんが、当時の記憶や震災への思いを交互に語る形で進んだ。

自分たちができること

画面越しだったが、私の話を聞くときの真剣なまなざしが印象的だった。

「私も同じ気持ちでした」
「毎年悩んで、でもブログに書くことくらいしかできなくて…」

丁寧な言葉遣いで、当時の状況や悩みを話してくれた。

対談の終盤、「自分たちができることは何か」が話題に上がった。

横川①


震災伝承施設で久保さんのファンによる書き込みを見掛けたことや、全国区で活躍する久保さんだからこそ、被災地に目を向けてくれる機会が増えることを、久保さんは涙を流して聞いてくれた。少し驚いたと同時に、とてもまっすぐな人だと感じた。

発信力の高さに驚く

「被災地の中でも恵まれた環境にあったから」
「この葛藤は非常によく分かる」

記事の配信後、ツイッターには、記事に共感したという投稿が並んだ。乃木坂46の公式アカウントでも紹介され、1万4000を超える「いいね」ボタンを押してくれた。反響の大きさと、久保さんの発信力の高さに驚かされた。

「勇気が出た」

配信前、「震災にこれまで関心がなかった方々に読んでもらえたらいい」と考えていた。

予想外だったのは、東北にゆかりがある友人の反応だった。私の元にも直接感想を送ってくれ、当時の体験や、「自分があまり被災していない」ことへの複雑な思いを明かしてくれた。

「(津波被害には遭わず)実家は無事だった。自分がつらかったというのは、おこがましい気がしていた同じような思いを抱く同世代がいて、ほっとした」

気持ち軽くなった

大学の友人は、石巻市の祖父を震災関連死で失ったことを初めて教えてくれた。多くの人が葛藤を抱え、体験をなかなか話せずにいたことに、改めて気付かされた。


メッセージの最後には「対談を読んで勇気が出た」とあった。対談を引き受けた意義を感じることができた。


「記事で気持ちが軽くしてもらった気がする。ありがとう。3月11日に、避難訓練があるから震災の話をしようと思う」

抱えていた後ろめたさ


都内で小学校教諭として働く友人もまた、東北出身でありながら、発災当時も現在も、都内に住んでいることに後ろめたさを感じていたという。


後日、彼女とオンラインで話す機会があり、11日当日に児童の前で、自分の古里の東北で多くの命が失われたことを涙ぐみながら伝えたことを教えてくれた。


「学校は津波の危険性が低い地域にあるから、当初は子どもたちに津波の危険性をどう伝えればいいか、はっきりと分からなかった。でも、将来はどこに住んでいるかも、どんな災害に遭うかも分からない。語り継ぐ大切さに改めて気付いたんだ」

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震災遺児にお話しをうかがった時の様子(※久保さんとの対談ではありません)

久保さんから伝わった強い気持ち

記事を読んだ取材先からは「一生懸命に取材をしている理由が分かりました」などと言ってもらった。

若い世代を含め、多くの方に、記者がどんな思いで報道に携わっているのか、少しでも知ってもらう機会になったことが、素直にうれしかった。

3月11日、久保さんのブログを拝見した。

「自分にできることをしていく」

これからも、被災地、そして東北を思いながら活動を続けるという強い意志が伝わり、とても心強い気持ちになった。陰ながら応援を続け、活躍を祈りたい。

震災から11年目に入る。あの日、失われたかけがえのない命と、災害のおそろしさを忘れない、忘れさせない。これからも強い気持ちで取材を続けたい。

※対談の機会をつくっていただいた皆さま、そして、久保さんに改めて感謝を申し上げます。ありがとうございました。

【久保史緒里さんと対談したBLOGOS記事】

涙で明かした葛藤。私は震災を語っていいのか…乃木坂46久保史緒里、被災したふるさとへの思い

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