「春夏秋冬の春」苦手な季節を乗り切るためのストーリーテリング

 春という季節はなかなかに刺激が多い。
 まずは体が感じる刺激。三寒四温とは良くいったもので、本当にこの時期は急に、ビックリするほど寒くなったり暖かくなったりする。かと思えば、雨や嵐が突然やって来たりもする。花粉も飛ぶ。季節の変化に敏感な人や、偏頭痛持ちの人や、花粉症の人や、アレルギーのある人にはしんどい時期かもしれない。
 そして春は芽吹きの季節でもある。急に緑の匂いが濃くなってきたり、鳥の鳴き声が増えてきたり、ふと吹く風に暖かさが帯びてきたりすると、春の訪れを五感が察知する。これも自然から受ける刺激の一種で、しかも結構不意打ちだ。
 さらに、日本は春にだいぶ生活が変わる傾向にある。3月に一区切り着いて4月に新たな区切りが始まる文化だから、春のイベントが多い。卒業、入学、入社…。目に見えて大きな節目ではなくても、例えば学校の学年が一つ上がる、クラスメイトや担任が変わる、職場の部署や同僚が変わるというのはそれだけで精神的刺激が大きい。3月31日から4月1日になるというのは、大晦日からお正月になることよりも環境的な変化が激しい。その場の空気も、周囲の雰囲気も、人間関係も一気に変わる。数週間前とはガラッと異なる環境に、そわそわしながらも順応していかなければならない。特に10代の時は4月が勝負だったというか、とにかく早く新しい環境に慣れないとというプレッシャーも感じていた。
 身体的・環境的・精神的刺激に満ちた季節。そんな春が私は苦手だ。いろいろな変動に着いて行けないのだ。春の魔物と呼んでいる現象、何でもできる気がした次の瞬間には何もできない気がしてくる。すごくウキウキしていたのに急に不安感が押し寄せて来たりもする。今でこそなんとなくやり過ごせるようになったが、昔はもう春が終わる頃には心身共に疲れ果て、ゴールデンウィーク前にはほぼ毎年寝込んでいた。
 そんな私も、小学生、たぶん中学生の最初の頃までは春が楽しみだったように思う。なぜ苦手になったのか。それは、自分が期待していたような「春のミラクル」は訪れないとしってしまったからだろうか。
 少し私の昔話をしたい。カナダでソーシャルワークを勉強していて、先住民の人たちはストーリーテリングでトラウマや心の不調を和らげるプロセスを大事にしていることを知った。最近Narrative Therapyに興味があるので、今回は私自身のヒーリングだと思って、皆さんにもお付き合いいただけると嬉しい。
 中学1年生の春は、静岡の田舎から東京に出て来て、それこそ刺激的な新生活に戸惑ってばかりだった。寮生活が始まり、やっと友達ができると思ってワクワクしていたけれど、入学後数週間で体操着が隠されるという当時かなりショッキングな事件が起こり、結局学校になじめたのは夏も終わる頃だった。
 中学3年生の春、手首を怪我して大好きだったピアノが思うようにひけなくなった。それからしばらくは、かつての自分のように何か一つのことに打ち込んでいる人がうらやましかった。親友とは別の高校に行くことになり、4月からの高校生活は楽しみより不安の方が大きかった。
 高校1年生の春、甲状腺の病気になって大不調。とても花のJKライフどころではなかった。内分泌系の疾患を初めて経験し「どう具合が悪いの?」と言われた時に自分の不調をうまく伝えられないもどかしさ、わかってもらえない寂しさを感じた。
 高校2年生の春、大好きな人の意識が無くなったと聞いた。当たり前に一緒に大人になれると思っていたから、心の中が空っぽになった気がした。悲しかったけど、悲しいのは私だけではないとわかっていて、だからこそずいぶん長いこと自分の感情に蓋をしていたと思う。
 高校3年生の春、この年は季節が変わるごとに体を壊していた。これは完全に受験のストレスだ。一気に受験モードになった授業や周りの空気に必死でついて行こうとしたが、それは完全に私のキャパを超えていた。学ぶことは好きだったので受験勉強も1年バリバリできると思っていたが無理だった。今まで楽しかった教科も、受験で使うと思ったら緊張して憂鬱になった。
 大学2年生の春、希望していたコースで学べることがとても楽しみだったけれど、その後すぐに人生最大のOppressionを経験し、ボロボロになった末に大学を退学する決断をした。
 こうやって振り返ってみると、私はあまり春にいい思い出がないのかもしれない。暖かくなって、何かが始まる新たな季節、たくさんの出会いがあってワクワクする季節というには、少々密度の濃すぎる時間を過ごしたのだろう。
 現在どうして春をやり過ごせるようになったかというのは、まずはカナダに今いることが大きいと思う。スギ花粉もないし、物事が3月と4月であまり違わない。なんならその時期はレポートやテストに追われていて、春の干渉に浸っている余裕がない。
 それと、自分が変化を苦手としている性質を客観視できるようになったことも大きい。さまざまな刺激や周囲の人の変化に敏感なHSP(Highly Sensitive Person)の気質があることを認識してから、春のダメージを受ける自分を今までより冷静に分析できるようになり、意識的に刺激をブロックしたり、限界を超える前にいったんその環境から離脱したりすることも覚えた。
 そして、春に起こった悲しかったり切なかったりする出来事を思い出すたびに、そのとき私を助けてくれた人たちのことも思い出す。完全に孤独にならずにすんだからここまで来られた。「神様がくれた休みだと思って思いっきり休めばいい」「つらい気持ちはどんどん吐き出してほしい」「大丈夫、ふっと楽になる時がくるから」「元気になったらいくらでも取り返せるから、今はしっかり休もう」と、あのときぐったりしていた私に声をかけ続けてくれた大人がいたから、そばで支えてくれた親友がいたから、毎年毎年春を生き抜けてこられた。ゆっくり休めた環境にいられたこと、「季節の変化に敏感な人にはつらい時期だよね」と寄り添ってくれた人がいたことがとてもありがたかった。今はそれを思い出して元気になれたりする。「また頑張ろう」と、「私もあんな大人になりたい」というエネルギーに変わったりもする。
 時間が解決してくれると言うのは、しばらくしないと解決しないということでもあるので特効薬にはならない。ただ、私に関しては、確かに昔の思い出は薄れていくし、美化されてもいく。そして、これは高校生の時に言われて最近実感として納得しているのだけれど、体も年と共に鈍感になっていく。だからあと何十年かしたら「春が苦手って言ってた時もあったかもねぇ」と笑えているぐらいがいいなと思う。
 春が苦手の対処法は、自分から意識的に情報を拾いにいかないとなかなか見つけられない。もし、春が苦手で今年も憂鬱だなと思っている人がいたら、まずは常に刺激が溢れるこの季節と共にそれでもなんとか暮らしている自分を褒めてほしい。そして、誰がなんと言おうと自分の心身を大切にしてほしい。体と心は繋がっているとどこかで学んでしっくりきた。例えば心が疲れて起き上がれない時は体もそれだけダメージを受けているし、体がつらい時はそれだけ心にも負担がかかっている。ある程度無理をしなければ生活は回っていかないかもしれない。でも、無理しすぎない自分のペースを大事にして、休み休みでも、補足長く春を生き抜いてほしい。
 最後に、春が明るくて楽しいことに溢れているのも事実だ。10代、20代前半に比べれば体も敏感ではなくなり、気持ちの保ち方もわかってきた。最近はまた、苦手ながらも少しずつ春の雰囲気を楽しめるようにもなりつつある。桜シリーズのスイーツが出ると食べに行きたくなるし、重たい冬服から淡い色の春服に袖を通すのはワクワクする。お花見やピクニックも好きだ。自分とうまく付き合いながら、春を楽しんでいこう。一つずつ、穏やかで楽しくて暖かい思い出を、これからも上書きして行きたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?