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ティンカーベルが一番好き。

あまり仲良くなくて、ほぼ絶縁状態にある母だけど、思い出がゼロというわけではない。

私が幼稚園の頃、学芸会で「ピーターパン」をやることになった。
物語におけるプリンセスのポジションの「ウェンディ」は子どもたちに一番人気だった。
私も、みんなと同じようにウェンディに立候補した。

ただの園児だから、じゃんけんで役を決めることになって、私は一番最初にじゃんけんに勝って、ウェンディ役を手に入れた。
負けた女の子は「ティンカーベル」になることになった。

負けた女の子が号泣して、先生が説得して、私はその時、女の子と先生に言った。

「私、ティンカーベル“が”良いかも。」

泣いてた女の子はすぐに泣き止んで、
先生はオロオロしてたけど、私は頑なに
「やっぱりティンカーベルが良い」
と言って聞かなかった。
その時、どんな顔で先生が私をティンカーベルにしたかは覚えてないけど、ウェンディを譲った女の子が、ただひたすらに喜んでいたのは今でも覚えている。

迎えにきた母に先生は私が譲ったことを説明した。
母は、いつもは自転車で迎えに来るのに、その日は偶々車で迎えにきていて、その日、いつもは幼い妹に譲っている助手席に座った。

「ウェンディ、やりたかった。」

車に乗り込んで号泣した。母は車を運転しながら、いつもは一つしか許されていないチョコレートのおまけ付きお菓子を、二つ食べても良いと言ってくれた。
私は涙が止まらなくて、一つも食べられなかった。

母は笑いながら言った。

「ママはティンカーベルが一番好きだよ」

母は私が譲ったことを褒めはしなかったけれど、私に与えられた役を好きだと言ってくれた。
その時、私はその言葉に救われて、ティンカーベルの役を楽しく演じた。他のお母さんたちは、子ども経由で私が譲ったことを聞いたのか、えらく褒めてくれたのを覚えている。

幼い頃に愛着の湧いたキャラクターをその先も大切にしている人は多いと思う。
私はそれ以降、ティンカーベルのシールや玩具を好んで買ったし、少し大きくなってからはティンカーベルの画像を携帯の待ち受けにしたり、ポーチや鏡などの持ち物をティンカーベルで統一していた。

あの時、譲って手に入れたティンカーベルは私のアイデンティティの一つになっている。

それでも時々、ウェンディを譲った瞬間の風景が頭によぎることがあった。

中学の頃、私が付き合いかけた男の子を
「私が○○くんを好きなのに」
と泣きながら訴えられて、その男の子を振った時。

面倒臭くて嫌われている委員会に立候補した時。
浮いているクラスメイトの隣の席に率先して座った時。
人気のないケーキを食べたいと言って取った時。

ウェンディを譲った時の風景と、母の言葉が頭に浮かんだ。

欲しいものほど、
他の人に譲ってきた気がする。

風紀委員も、ゆみちゃんのことも、ヨーグルトタルトも
好きになれなかったな。

そんな人生を続けて、大学に入って、
あの時はあんなに好きだった母すらも嫌いになって、
新歓の人数が足りないと頼み込まれたサークルに成り行きで入って、
誰もやりたがらない係のリーダーになって、
行きたくもないハロウィンパーティで誰もやりたがらなかったバニーガールで参加した。

恥ずかしくて死にそうだったけど、それを私がやったお陰で女子は安心していたし、
私はさも、やりたかったかのように振る舞いながら、先輩たちの軽いセクハラを笑顔で制していた。

そしたら、遅れてきた後輩の美咲が言った。

「えっ!!かほさん!めっちゃ綺麗!
似合ってる!可愛い!大好き!

かほさんに比べたら全員私服じゃん!」

美咲は多くの女性に嫌われたけど(元々女性に嫌われてるけど)私とは親しくなった。
私は美咲を今でも本当に大切に想ってる。

譲ったり、我慢して
手に入れたものを愛せたことは
ほとんど、なかった。

でも、ゼロでもない。

きっと私はこの先も、譲ったり、我慢しながら手に入れて、
本当に時々しかない「譲って耐えて良かった」の気持ちに縋りながら笑顔で生きていくんだろうな。


この間、親友と飲んでる時に
ウェンディを譲った話をしたら

「え?ウェンディなんて出てきたっけ?
ティンカーベルしか知らないんだけど。」

と、ビールを飲みながら平然と言われて
涙が出るほど笑った。


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