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聞いてないのに「ありなし」を語る人

大学時代、ホームパーティをすると言われた先輩の家に行くと「冷蔵庫にあるものを適当に出しておいて」と言われた。
冷蔵庫にあった肉じゃがを「カレーにして皆んなで食べますか?」と提案したら「合格」と言われて寒気がした。

同じく大学時代、友人に男も連れてくねと言われて行ったレストラン、私が先に着いたので椅子(通路側)に座って待っていた。
着いてしばらくしてからその男に「こういう時にさ。女の子がソファ側に座るべきみたいな考えを押し付けてくる子、苦手なんだよね。かほちゃんはそうじゃなくて良かった」と言われて寒気がした。

会社の飲み会で全く酒注ぎや進捗管理を出来ない同僚を見兼ねて代わりにやってると「俺、お酒飲めないし部活とかもやってなかったからさ。そういうの出来る子、本当尊敬するし良いなと思う」と言われて寒気がした。

なんで突然、「俺の女に相応しいコンテスト」が始まってて、強制的に参加させられてるの?

その発言は本当に一瞬、1〜3秒くらいの話だし、恐らく相手も何も考えずに発してるし、なんなら完全スルーできる女の子も居ると思う。
だけど私は5年以上経った今でも、その1〜3秒を忘れることができないでいる。

多分これは男女問わずある。
例えば合コンとかに行って、会が終わった後の女子会が私はものすごく苦手だった。
「○○くん、あの振る舞いは無理だった〜」とか言ってる友人を見るとこちらが恥ずかしくなった。

友達の彼氏とか、告白してきた人とか、誘ってきた男の愚痴は全然聞いてられるんだけど、
「特定の男の人(女の人)が自身に好意があるのか無いのか分からない」という状況下において「あたかも自身が好かれているかのようにジャッジする」のって、めちゃくちゃ見てて恥ずかしくないですか?キモくないですか?

男性に「最近俺にやたらとLINEしてくる変な女がいてさあ」と相談をされた時にも思った。
「告白されたわけでも関係を持ったわけでもない女からのLINEをよく“好かれてる”こと前提で第三者に相談できるな」と。

人は人が思ってる以上に、自身が好意を抱かれてると思えるもので、
好意を抱かれるに相応しいと思えるもので、
私はそれが見ていて恥ずかしかった。

とゆうか、私なんて
明言されても尚、人の好意なんて信用できないのに。
この人たちは明言どころか、数えるほどしか会っていない人にその可能性を見出してるのか。

愛されて育ってきたってことなのだろうか。
他人から愛されるに相応しいと思える人たち。

更に、自分が“ジャッジする側だ”と思える人たち。

まだ概念的な話なら全然いいんですよ。
例えば「人に席を譲らない異性が苦手」みたいな。
それって嗜好の話だから。

何度も言うけど、「○○くん」「○○ちゃん」に対して、ジャッジしてるのが不思議なんですよ。

私はよく、異性から「そういう振る舞いは男を勘違いさせるから気をつけた方がいいよ」と言われて来た。

勘違いするなよ。と、いつも思っていた。

なにを勘違いしてるんだ??
私に好意がないことなんて少し考えれば分かるだろう。
誰にでも、笑顔を向けて接してることくらい、少し考えれば分かるだろう。

しかも、勘違いさせた方が悪いみたいな考え?
いやいや、あなたの尊大な自己愛とナルシシズムが異常なのでは?

私はそういう振る舞いをするべきではない、と“ジャッジ”するのは楽しいですか?

そんなことを思いつつ、私自身も結局、テレビを見ながら「アイドルの○○くん、付き合ったら大変そうだね」なんてジャッジしてるんだから、人間やめたいし、自分を好きになれないよね。

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