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入学パーティーにて

 耳を疑った。
「優子って涼太のこと好きらしいよ」
 カクテルパーティー効果、なんてこの現象に付けられた名前を知らなかった優子でも、その言葉の意味だけははっきりとわかっていた。誰が発した言葉なのかを探ろうと辺りを見回したが、人混みに紛れて発信源はどこかへ行ってしまった。各テーブルで談笑する男女の姿がやけに目につく。誰もが優子を見ているようで、誰も優子を見てはいなかった。不似合いなスーツの群れは、好意はさらけ出すくせに悪意を包み隠してしまうらしい。
 優子はこの会場のどこかにいる涼太に思いを馳せた。どうか聞かないでほしい、今だけお手洗いにでも行ってくれていたら。塾の自習室で眺めた、まつ毛の長い彼の横顔がふいに思い出された。
 こんなところで明かされてしまっては、これまでとこれからにまるっきり意味がなくなってしまう。併せて7年も無駄にしたら、優子の人生の3分の1がそれに費やされることになる。先が長いとはいえ、今が折り返し地点のようなものなのに。折り返し地点で躓くなんて全くだ。今日の成功が明日をつくり、今日の失敗は先の未来を汚す。
 言葉の発信源どころか涼太の姿すら探せなかった優子は、ため息を落として紺色の空を見上げた。空と呼ぶにはあまりにも近い、ただの天井だった。星のように光るシャンデリアは未来を照らしているのに、場違いに感じられた。場違いなのは晴れの日に顔を曇らせている優子のほうなのに、シャンデリアが次第に憎らしく見え、またため息をつきながら目を閉じた。強い光は瞼の裏に潜む感情すら照らし続けて、行く末を見つめていた。

 ざわついた会場でくっきり聞こえたその声は、涼太にも届いていた。
 空耳かと思って遠目に優子を見つめると、きょろきょろしている彼女が見えた。聞こえていたのは彼女もだったのだな、と哀れに思う。高校時代の友人が多いとはいえ、大学デビューがかかった場で話されるにはいささか不適切な話題に思えた。共通言語は他にもたくさんあるはずで、この場でそれを選択する理由はないはずだった。
 涼太自身に当事者だという意識はなかった。知り合いの名前が聞こえたくらいの認識で、自分の話だとは思えなかった。それでもこの人混みの中で優子の姿を探せたこと、そもそも探すまでもなく把握していたことが全てだった。
 肩を落として空を仰ぎ、シャンデリアを見つめる彼女を愛おしく思う。猫背で歩くせいで、新品のスーツが似合わないところもいい。たった一言で今日をだめにしてしまいそうな、気弱なところが可愛らしい。自信をもって生きてほしい、と声はかけないけれど、そう思う。声をかけないのは関係性のためではなく、涼太のエゴだ。
 隣にいた友人に肩を叩かれ、優子から視線を外した。閉じ込めてしまいたくなるような儚さを、まばたきで抱きしめる。一瞬の抱擁は優子には何ももたらさないけれど、涼太にとっては束の間の安心になるのだろうか。いっそ囲ってしまいたい気持ちを押し込め、友人の待つテーブルへ急いだ。

 これから4年間、守ってあげるからね。

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