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写真は誰のためのもの?

この問いを問い続けることが、
私が写真を撮り続ける理由になる、と最近思うようになったので日記としてここに書いておきます。

私はカメラマンですが、自分で写真をほとんど見返しません。

未来にばっかりワクワクして、
写真には本当に執着がありません。
スマホのデータが消えちゃった時なんて、
なんだか新しい人生が始まるようでワクワクしたくらい。
待受はここ何年も更新しつづけている、未来を想像して作るビジョンマップです。

それでも、私が写真を撮るのはなんでだろう。
写真なんてなくてもいいけど、
写真に写る笑顔を見て、人生を愛しく思うきっかけがたしかにあったのです。

小さい頃の家族写真を見ては、
こんな愛の中で生きていたのかと感動し、
夫と付き合いたての頃、はじめてツーショットを撮ってもらった時には、
結構いい感じな2人に見えて驚き、
結婚式の写真に写る、おばあちゃんの姿に胸が熱くなりました。
人生をちょっと客観的に愛する時間として、そういうアイテムとしてとってもいいなと思っているのです。

私の親友は、お散歩する時、旅に出る時、
いつもフィルムカメラを持っていて、
サクッと撮ってくれる子でした。
その子が撮ってくれた私の写真には
そのときの温かさが残っていて、宝物のように思っています。

もしも写真が全部消えたら、
記憶しか頼りがないけれど、
写真があるから
人生の奥行きが深み、愛おしさがが増す可能性はすごくあると感じます。

だからその時の写真を、
リアルに残せるようでありたいと思います。
私がわぁ、愛しい、尊いって感じてる気持ちを、どうやったらもっとリアルに表現できるのか、
写真というある種の制約のなかでこれからも考え続けようと思います。
写真は写る人のためのものであり、
人生を愛するきっかけとなり、人生を応援する、
パワフルなものであることを願います。

今日も婚礼撮影でした、
おつかれさま!✨

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