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独り立ちの再定義

たくさん愛されて、信頼されて、応援されて育ったからこそ、独り立ちしたいという思いが強くなるのは、
とても自然なことだなと思うのです。
独り立ちとはどういうことなのか、
仕事をやめようと思ってからずっと考えています。


毎月安定したお給料が入ることを言うのか、
一人暮らしすることを言うのか、
課長になることを言うのか、
仕事を任せてもらえるような人とになることを言うのか、
年収1000万円稼げるようになればいいのか、
子供を育てられればいいのか、
子供を私立の幼稚園に入れられればいいのか。

どれも、独り立ちの定義としてあり得るものだなと思います。
私たちは、あまりにも
”世間”の独り立ちに振り回されすぎているのではないかと思ってしまいます。

私にとっての独り立ちとは、
自分の衣食住と、好きなことに使うお金を自分で賄えること。
自分の実感と意思で、毎日を丁寧に歩むこと。

この場合、決して
課長になることでも、キャリアアップすることでも、
年収1000万円になることもないと思うのです。
なんとなく、会社から離れたら”独り立ち”できないのではないかなんて、
その思考停止のほうがよっぽど怖いと思うのです。

会社に自分の思考や、自分にとっての独り立ちも完全にゆだねて、
あたかもそれが、自分にとっての独り立ちであるようにふるまうことは、
自分の実感と意思が伴う選択なのでしょうか。

私が独り立ちだと思っていることは、
父にとってはちがうかもしれない。
未来の子供にとっては違うかもしれない。
だから世代を超えたリスペクトをもって、
よく見て感じたものに自信をもって、
丁寧に話すことは重要だと思うのです。

意外とあなたが苦しんでいる独り立ちの定義は
誰も求めていないかも。
かも。笑


#毎日更新 #社会人一年目のわたしへ #自立 #独り立ち

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