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やまと尼寺 精進日記


水曜の昼間、ふとNHKにチャンネルを回した。(回した、という言い方は古いかなと思いつつ)

その瞬間に始まったのが、タイトルにもある"やまと尼寺 精進日記"である。
これがもうほんとに大好きな番組の1つなので、今日はこの番組の何が好きなのかを話していきたい。眠たいから、少しだけ。

やまと尼寺 精進日記は、奈良の尼寺、音羽山観音寺の三人の女性(お二人は尼僧)の日々を映す番組だ。

三人の女性は、住職の後藤密榮さん、副住職の佐々木慈瞳さん、そしてお手伝いのまっちゃん(さん)。

第一に、この三人の掛け合いが堪らなくいい。30分番組なのだけれど、ずっと目を離さず観ていられる。なんなら知らない間ににやけながら観ている。

ご住職は時にしてツッコミ役、そして観音寺の知性担当、まとめ役。そして何より、優しいが過ぎる。私はご住職の笑顔に物凄く惹かれる。それはそれは優しい眼差し。素敵なんてものじゃ言い切れないほどに素敵な笑顔。
副住職の慈瞳さんは、完全にお笑い担当である。ムードメーカー。この人がいないと始まらない。器用で大雑把で優しくて、少し負けず嫌いで。自分がどの立ち位置にいるのを望まれているのか、よく分かっている気がする。
お手伝いのまっちゃんはというと、どこか不思議な雰囲気のある方。手先が物凄く器用で、頼られている。慈瞳さんと一緒に面白い事を言ってご住職を笑わせたり、かと思えばご住職と一緒に慈瞳さんに厳しいツッコミをいれたりする。もっともっとまっちゃんのことを知りたくなる、という気分にさせる方。

完全なる私の主観でお三方をご紹介したけれど、ぜひ皆さんも一度観てほしい。三者三様なのが分かるはずなので。

三人とも全然違うんだけど、それがいい。なんせ仲良しで、ずっと一緒にいる筈なのに一緒に暮らして一週間じゃないかと思うほどけらけら笑って話して。長年一緒にいる倦怠感みたいなのが全く無い。
時々誰かは出掛けていて、二人だけで作業を進めることもあるのだけれど、誰が欠けていてもなんだか少し寂しい。内容は面白いし充実しているのに、なにか足りない気がしてしまう。それだけ、三人がいると楽しさが倍増しているということなのか。

毎回精進料理を作るのがこの番組だ。料理番組であるということがまた、私の大好きな理由の二つ目である。材料は近くの方からの頂き物だったり、山寺なので採りに行ったり。お寺の敷地内で用が済むこともある。今回放送の七草なんかはたしかお寺の敷地内で探していたように見えた。あとは、車に乗って道の駅に買い物に行くこともある。

料理は、三人でああだこうだと言いながら、適当でいいのよ、と言いながら、まだ茹でているだけなのに美味しそうだねえと話しながら、まっちゃんは器用だねえ私のも綺麗に切れているでしょう?と慈瞳さんが笑いをとりながら、それでいて作業は素早く効率よく進む。
なんて和やかな雰囲気。

作業の工程やメニューの一つ一つに素敵な昔の日本らしさが残っていて、それもまた楽しい。私は少し、曾祖母の家を思い出していた。

自然に囲まれた(なんせ山寺なので)景色や、しっかりと残る風習をまるで自分が体験しているかのように感じられるのも、大好きな理由の三つ目である。

敷地内にある沢山の植物や木々。山葵が生えていたり、御神木の銀杏の木があったり、なかなか実のならない渋柿があったり。観ていると、芦屋にきてから、あまりそういう自然に触れる機会がなくなったなあと、ふいに思う。実家はまだ自然が近かった。芦屋にも山はあるけれど、そこにわざわざ赴いたりはしない。

今回の放送は小正月の内容もあった。小豆粥を炊いて、実のなる木のくぼみに置くのだそうだ。そして、木に刃をこつんこつんと当てて、「(実が)なるかならんか」と聞く。"成る木責め"という、木に対する脅しらしい。思わず笑った。素敵な風習だ。
まるで自分のおばあちゃんに教えてもらっているかのような気分になる。隣で成る木責めをみて笑っている自分がいるような錯覚に陥ってしまう。


とまあ、少しだけと言いながらここまで書いてしまったわけで。
言いたいことは少しもまとまらなかったわけで。

まあ、うん。取り敢えず一度観てほしい。あなたもきっとファンになる筈。

わたしもいつかこんな素敵な方たちを取材して文章にするのが夢だ。
できるだろうか。こんなしょぼくれた文章力じゃお断りされるだろうなあ。
どうしたら言いたいことがそのまま文章で伝えられるようになるんだろうか。
頑張るしかないなあ。

と、決意を新たにして。寝ます。


やまと尼寺 精進日記、毎月一度(たしか最終日曜日。再放送は水曜日?)の放送です。

おやすみなさい。

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