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いつだって、置いていかれるほうが辛い

幼い頃、学校が休みの度に泊まりに行くのは祖父母の家だった。よくある骨肉の争いで親戚一同が祖父母と揉めて一族がばらばらになってしまってから20人ほどいた孫たちは親(祖父母の子供)に言われて祖父や祖母に寄り付かなくなっていた。そこに唯一争いに混ざらなかった私の母に祖父から「カホは遊びに来んのか」と毎週電話がかかってくる。母は再婚した旦那と(もうとっくの前に離婚した)しばしば喧嘩するから私がいない間に心も体も傷付いていたらどうしようと心配で心配で、母の元から離れるわけにはいかなかったのに、その気持ちを伝える事なんてできる筈もなく、気が付いたらいつも祖父母の家にいた。無駄に広くて寒い祖父母の家。こんなところに3人でいたって持て余すだけだった。夕方は決まって寂しくなるし、夜は早く家に帰りたくて仕方なくなる。お酒を飲んだ父が母に罵声を浴びせる可能性のある時間だ、どうかどうか、今日は母が穏やかに眠れますように。祖母のベッドで一緒に眠りに落ちるたびに神様に祈っていた。

ときどき、ふいに祖父母との面会を許されたらしい従姉妹(祖父母の孫)が遊びにくることもあった。私も遊び相手ができるし祖父母も久しぶりに孫と会えるしで大歓迎なんだけど、彼女たちは決まって1日そこらでささっと帰ってしまう。目の前に垂らされたエサに尻尾振って喜んだと思えばそれも1日だけ。無駄に喜ばされたかと思えばすうっと消えてしまう。名残惜しさのかけらもなく帰っていく従姉妹を、祖母と私で見えなくなるまで見送るときが一番辛くて、従姉妹が恨めしくて、嫌で堪らなかった。いいな、あの子は私なんかもずっと年上なのに気ままに遊びにきたりこなかったりできて。自分の勝手で祖父母をぬか喜びさせて、そのあとの寂しそうな2人の顔を一切見ることもなく次の楽しい場所へ移動できるんだから。私なんか、私なんか、休みの度に祖父母のご機嫌を伺いにきて、年老いた夫婦の口喧嘩に耐えて、家の母の心配も募ったりなんかして、そんな私の苦労も知らないで。悲しみや怒りややるせなさがぐらぐらに煮詰まって涙が出そうだった。だから一番嫌だったのだ。置いていかれる側も辛いけど、置いていくほうも辛い、なんて言葉を耳にしたばかりのころだったけど、絶対にそんなことはないと言い切れた。だって、置いていかれるのはこんなにも苦しい。

次に嫌だったのは、休日最終日、母の迎えで祖父母の家を去るときだった。置いていかれる辛さを知っているし、誰かを見送ったあとの祖母の寂しそうな背中を知っている。もう二度とあんな思いをさせたくないのに、結局は最後に私がそうさせてしまう。私が帰れば今度こそ本当に2人だ。また喧嘩するのかな。帰るときにこんなに寂しい思いをさせてしまうなら、最初から来ない方がよかったんじゃないかとすら思った。



ずっと実家で過ごしていたゴールデンウィークが終わり、母の運転する車で芦屋の家に帰ってきた。少しカフェで休んだら、颯爽と母は帰って行った。早く帰らないと、なんせ芦屋から実家まで5時間程かかる。この場合、置いていかれた側はどっちだろう。きっと、母の方だろうな。
あの頃みたいな寂しさとか申し訳なさはなかった。母が誰かに置いていかれたあとの背中を見たことがないからだろうか。勝手に置いていったのは私なのに、そのあとのフォローは何にもしていないのに、私がいなくても平気でいてくれる母の姿を祈ったりしてしまう。あのとき平気で祖父母を置いていった従姉妹もこんなことを考えたりしていたのかもしれない。結局は今の私だって彼女たちと同じになってしまった。落ちぶれたと落ち込むのか、変わることを覚えたと喜ぶべきなのか。
あーあ、置いていくとか置いていかれるとか、そんなのがない世の中になればいいのに。無理だけど。

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