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「ヘレディタリー」を見た

日本では本日からアリアスター監督作品「ミッドサマー」が公開されるらしい。

ということで、同監督の過去作である「ヘレディタリー」を見た。

そこまで詳しくは書かないけれど、一言で言うなれば「最悪」だった。
もちろん最高に面白い映画だったが、一言感想を述べるのであれば「最悪」以外思いつかない。

まず最初に着目するべき点は「音」だ。
近年のホラー映画やホラーゲームでは常套な手段となりつつある、大きな「音」でびっくりさせる表現が、今作品にはほとんどない。突然の大きな音、は確かにホラー作品において非常に効果的な役割を持っているけれど、どこもかしこも使うせいで、もはやただの便利なモノになりつつある。
対して「ヘレディタリー」では、むしろ静寂と、耳を済ませないと聞こえないような音、そして印象的な喉を鳴らした「コッ」という音。この表現で恐怖を演出するのはおそらく非常に難しいが、それ以上に効果的だったようにも思う。

次に、この作品の持つ「ホラー」の感覚は、他作品とは一線を画していると思う。主題的に扱われている「悪魔」の純然たる「悪意」と、それを信仰するカルト宗教信者たちの気味悪さ。理不尽と不自然と不安定。
そもそも主人公がはっきりしなかった。初めは最もピックアップされてるチャーリーかとも思ったが早々に退場。続くアニーは夢遊病だったという過去が語られ視聴者にとっては疑惑のキャラへ。アニーがエレンの思惑に気づき正気に戻ったかと思えば、唯一まともな人間だった父チャールズが死に、彼女は笑みを浮かべた。そして視点はピーターに移る、と。これは視聴者が最も共感すべきキャラクターを次々と移すことで、奇妙な浮遊感を覚えさせ不安にさせた効果があったと思う。

それと、一つ気になったのことがある。
ホラー作品のホラーたる所以というのは、その一つとして「視聴者の現実とのリンク」があると思う。
映画「リング」では、我々が普段見るテレビから恐怖は訪れる。
我々の現実、生活、普通の陰に潜む何かを想像させるものが、ホラー作品では描かれていることが多い。
では今回の「ヘレディタリー」ではそれはなんなのか。
「悪魔」と「カルト宗教」だ。
この二つの存在において、正直日本人は馴染みが薄い。そもそも宗教感覚が薄い上に、「悪魔」という単語を聞いてピンとくる、具体的な想像ができる人は少ないと思う。
対して、欧米人はよりキリスト教など、生活に宗教が浸透しており、「悪魔」の存在もある程度現実性、というか具体性を持っている人が多いと思う。
つまり何が言いたいかというと、この映画は欧米人が見た方が怖いのだろうな、ということだ。
よりこの映画の恐怖を面白さを味わうためには、まず欧米で生まれ育つところから始めなければいけないのかもしれない。

なにはともあれ、面白かった。
最悪だったけど。

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