結婚は幸せの形をしていない
私が見る限りは。
世の中で結婚を報告する際、「幸せになります」とか「ゴールインしました」と表現することがある。
世間の扱う「結婚」という文字は、私には白く輝いていてフリルやら花やらで綺麗に飾られているように見える。
ただ、私は結婚がそんなに希望に溢れたものだと思えない。
物心つく前から両親の喧嘩で夜中に何度も目を覚ました記憶があるし、
うちの両親を除く親戚も祖父母も皆未婚もしくは離婚経験者。
職場や飲食店で配偶者 の愚痴をこぼす人を見るたび、
なんでみんな結婚したんだろうな、と疑問に感じる。
だから幸せな結婚生活、みたいなものは私にとってはドラマや創作の中の話のように思える。
もちろん僻みでもなければ結婚する人を否定したいわけじゃない。
きっと結婚を決めた人たちの中にはそれぞれ経緯があって、それぞれの幸せの色があるのだろう。
私には無理だなあと、遠くのほうからぼんやり眺めるだけだ。
前回の記事で少し触れた通り、私には恋愛感情がないし人からの恋愛感情が気持ち悪く感じる。
人との接触も苦手で、美容院で髪を洗われるのも嫌だから、基本シャンプーのあるメニューを避けて予約するようにしている。
今現在一人で家にいても寂しいと感じたことはないし、むしろ悠々自適に過ごしている今にこの上なく満足している。
そんな私が誰かと結婚したり同じ家で暮らしたり、という生活が想像できない。
それでも世間から見ると、「結婚を選ばない人」も「望んでいるのに結婚できない人」も等しく独り身なのだ。
いつか周りから結婚を強いられるんじゃないかとか、
結婚していないことで世間からの評価が決まってしまうんじゃないか、
という不安がついて回る。
結婚するもしないも自由なはずなのに、それでも恋愛至上主義の世界では未婚やおひとり様という言葉には蔑むニュアンスが含まれているように感じてしまうのだ。
私が進んで選んだ道が、「選ばれなかった」ものとして映ってしまうのが恐ろしい。
もちろん恋愛できるのが普通だし、冷たい言い方かもしれないけれど、
世間的に見て家庭や子供を持って生きている人がただしいし社会に役立つ人材なのだろう。
私はこのまま生産性のない人生を続けてなんになるのだろう、と落ち込んでしまうときもある。
今でこそ快適な一人暮らしをしているけれど、いつかは寂しいと思うときが来るのだろうか。
そのとき恋愛してこなかったことを後悔するのだろうか。
どのみち今できないことを数えてもしかたないから、こうやってゴミを捨てるようにインターネットの隅っこでぼそぼそやっているのだ。