自分のテニス人生を振り返る。
こんばんは!
筑波大学体育専門学群3年の竹之内大輝です。
体育・スポーツ経営学を専攻で学び、体育会硬式テニス部に所属しています。
卒業後は院進を考えており、教育やスポーツ、経営などについてもっと深く、そして、幅広く学ぶためにも、時間をかけたい、そういう気持ちです。
今回は自己紹介の一つとして、「テニス」との関わりについてお話しします。
僕がテニスと出会ったのは小学5年生の時でした。
夏のグランドスラムか何かをテレビでたまたま観て、観客の歓声に感動して、やってみたいという気持ちが芽生えてテニスを始めました。
正直詳しい事は覚えていませんが、初めてテニスに親しんだ場所は、近くの清武Jrというクラブ。
ここでボランティアでコーチとしてテニスの楽しさを教えてくださった方がいたこともあり、中学からは本気で取り組むようになりました。
学校の部活動だけでなく、個人レッスンで複数のコーチにお願いしていたのが中学でした。
その時はずっと誰もが目指すような高い目標を掲げていました。
今いうのは非常に恥ずかしいのですが、「グランドスラム」を夢見ていたこともあるのです。
まだまだその時は普通のレベルでした。大会ではレベル別の大会で入賞できるくらい?
あんまり覚えていませんね。笑
中学1年生の終わりに「ライジングサン」というテニスクラブに出会いました。
ここでは、県だけでなく、全国でも活躍できるような選手の育成を目指して指導を行っています。
今でも帰省した時には顔を出して小さい子に紛れてテニスをします。中高のほとんどを費やしたクラブです。練習量がどんと増えたのはその時期だと思います。
中学校2年生の時、一つ下に県一位の後輩が入ってきました。同じクラブの人です。
今でも関東でちょくちょく会いますが、その時はとてもオーラが怖くて、年下なのに話しかけづらいという、練習では特に気迫のすごい後輩でした。
そういうレベルの高い人もいたおかげで、中学2年の終わりの新人戦という団体戦で九州準優勝という結果を出すことができました。
まあ個人で強い人があまり出ていなかったという事はありますが。
全国大会はありませんでした。
中学高校でも何回かテニスを辞めたいと思ったことはありました。 才能はあまり感じていなかったからでしょうか。
でもいつもなんだかんだ親に説得され、テニスを続けた結果、高校の特に最後の方はほとんどの自由時間をテニスに費やしていた気がします。
高校の途中から山道を電動自転車で16キロくらい通う生活になりました。
電動自転車は僕の足であり、テニスをする時も移動はほとんどそれで、1日に移動60キロ、テニスも8時間、みたいな日もあった気がします。
テニス以外のことは勉強以外あまり記憶にありませんが、もっとできることがあったかといえば、今考えるとたくさんですが、その当時はとにかくテニスで頭がいっぱいだったのかもしれません。
でも、周りの人を見て、あんなこともしたい、という気持ちは多少ありました。
高校では県でベスト8くらいまではいきましたが、全然パッとした成績は収められていません。笑
練習量はなんだったのか。笑
大学受験を決める時にはテニス部に入ってレベルアップして、指導力を身につけて、保健体育教員になるということを考えていました。
そのため、国立で1番スポーツについて深く学べそそうな「筑波大学」を選択したのです。
そこから合格を頂いて、大学でも当たり前のように「テニス部」に入りました。
そこには、自分のレベルくらいの人がゴロゴロいて、手の届かない存在もいて、全国で優勝しちゃうような人もいて、という環境が待っていました。
ハイレベルな中で自分のテニスを磨けるのはラッキーなことだと思いました。
でも全然伸びませんでした。
大学生になってまで部活に入ってこれだけの時間を裂く意味はあるのか?
他にもっとできることはあるだろう?
勝てないからつまらない。
いろんな感情が芽生えて、1年の後半には「辞める」ことを考えていました。
あの時相談に乗ってくれた複数名の方には感謝しています。
結局辞めてはいないのですが、僕には辞めたくない唯一の理由がありました。
それは、「全日本学生テニス連盟」です。
インカレ、インカレインドア、王座という全国大会を運営する組織です。
アメブロの方ではたまに載せていましたが、
スポーツを「支える」立場の経験は非常に僕にとって大きな収穫となりました。
そこで出会う人の温かさ、全国に出場する人たちとの関わり、自分たちがいないと大会が成り立たないという自己肯定感などが心地よく、また将来のためにも重要な学びを得ることができました。
それがなければ部活動は辞めていたと思います。
また、2年生で受けた「体育・スポーツ経営学」という授業でショックを受けました。
勝利を求めて頑張る運動部活動が当たり前だと思っていたのですが、実はそんなことはなく、色んな志向の人がいて、それぞれが平等な価値を有していて、すべての人がスポーツを楽しむ権利を持っているということを初めて知ったからです。
高校のとき、主将であった僕は、チームのみんなが意識が低いといって鼓舞しようと必死でした。
自分についてきてくれる人を優先して、勝ちを目指す人があたかも“上”のような扱いをしていたのです。
経営学を受けて、自分の過ちを恥じました。
「自分はなんてことをしていたんだ。。。」
非常にそのできごとはショックで、経営学に入れば、もっと自分の視野を広げることができるのではないか、と思い「体育・スポーツ経営学」の研究室に入ることを決めました。
また、部活動に対する意識も変わりました。
「勝つことがすべてじゃない。」
そのあとの部活は楽しいものと変わっていきました。
サボっているわけではありません。
心にゆとりをもって、自分の成長を喜べるようになりました。
多少の成長にも気づくようになり、特に成長を感じるトレーニングは非常に楽しい。
もちろん最上級生となった今、立場としての振る舞いはあります。
自分だけになっては良くないこともあります。
少し前の時期に過激に批判をしていたこともありましたが、今は冷静に考えようと頑張っています。
研究室の授業では、運動部活動のあり方や、総合型地域スポーツクラブなど、ホットで重要な課題について考えており、そのことについてはまた、別のnoteでお話しします。
ざっとこれまでのテニス人生を振り返ってきて、テニスで活躍は全くですが、スポーツについて、多面的に考えていけるようになったのが今で、これまでの経験がなければ、筑波大学にも入ってなかったかもしれませんし、すべての出来事は偶然のようで必然的に繋がっていることは間違い無いでしょう。
引退まで残り半年くらいになってしまいましたが、少しでも部活動の価値を高められるように日々考えていくことが大切だと考えています。
まとまりは微妙ですが、長い記事を最後まで読んで頂きありがとうございました。