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生きた 恋した 死んだ

若き日の柳美里がインタビュアーに好きな言葉を聞かれたとき、「生きた 恋した 死んだ」と答えた。彼女の好きなフランスの詩人、スタンダールの墓石には「書いた 恋した 生きた」と刻まれている。
『JR上野駅公園口』が2020年に全米図書賞を受賞したことで柳美里の存在を知った人も多いのではないだろうか。最初は大学の現代演劇の講義で東由多加と切っても切り離せない人として彼女の名前を知った。2000年に刊行し、ベストセラーになった『命』は、彼女の人生最大のスキャンダルと東由多加の癌闘病、そして死のノンフィクション小説だった。柳美里は高校を早々に中退し、1984年当時熱狂的人気を集めていた東京キッドブラザーズに研修生として入団する。演出家である東由多加と恋愛関係になった時、東由多加は40手前、柳美里は15歳だった。十代のうちに三回、彼の子供を妊娠し堕胎している。二人の同棲生活は10年に及んだ。東が浮気をしては、仕返しをするように男の家に入り浸るのを繰り返す生活だった。柳美里は演劇界や文芸界、テレビ界など自らの書くという力で開かれた世界で様々な男と出会い恋をした。しかし彼女の恋愛する相手はなぜかと思うほどに妻帯者が多い。「不倫」自体は裏切りだが、彼女を見ていると妻帯者を愛するということは与えることに見返りを求めないという潔さのように感じられる。
今月9日に亡くなった瀬戸内寂聴が自身の半生をモデルにした『花芯』は「子宮作家」のレッテルを貼られ、世間から「不倫」を白い目で見られた。彼女が、恋とは雷が落ちてくるようなものだから逃げるわけにはいかないと言ったことは有名だが、「早く奥さんと別れて一緒になって」なんていうのはみっともない、世間的な幸福なんてものは初めから捨てないといけない、と続けている。自分を大切に思ってくれないというところをも全て包括してその人、として愛することは困難である。しかし柳美里や瀬戸内寂聴はその姿勢でいつも恋愛していたのだと思う。彼女たちは恋多き女というイメージがもたれるが、世間の幸福観にとらわれず自分の好きになったその人を真っ直ぐ愛した。強い気持ちなしに貫けるものではなく、そこには大きな力が込もる。彼女たちは男に何かを期待するのでもなく、いつも主体は自分であった。一緒になれなくとも好きな人の子供を妊娠し産み育てることは、世間から蔑まれようと、天道には背叶っている。恋は欲望だが、欲を捨てたら、穏やかな日常が過ぎてゆくだけで豊かな人生にはならない。

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