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故郷への道筋

今夏の話。首の後ろの大きな筋の、左側がキンキンする。七月の終わりに眠れなかった夜から、いくら寝ても治らない。眼球が震えるように動いたり頭痛に似た症状がある。やられているのは神経だと確信している。目覚めて上体を起こす時や外に出た瞬間、神経を使う時に起こるからだ。八月はじめの一週間はニューヨークからはるばる講師の先生が来て七日間毎日演技のレッスンがあった。狂おしい猛暑と感情の揺れ動きだけを感じながら、目まぐるしく過ぎていった。レッスン終わり、真昼に旅行に行くような大荷物を抱えて同じクラスの女の子ふたりと町田駅まで一緒に帰って来た。私が真ん中で、両側にこのレッスンで知り合った女の子が連絡通路を並んで歩いていた。新体操をやっていたという天女の羽衣のように身軽な女の子が、猫の頭って 硬い桃みたい、と言う。すでに神経がやられていてどんな会話をしていたのか覚えていない。一刻も早く強烈な青空に遮光カーテンを引き眠らなければならなかった。斬新で突拍子のないものに猛暑で狂った頭が追いつかず、彼女の涼しげな目元の笑みとともに消化不良のように残った。私は不眠、頭痛にまいりながらもうつろに思い出すものがあった。Tの手とその手に顔を覆われようと構いもしない飼い猫の情景だ。しんとした広い家の中に響く猫が歩く無音。しなやかな歩く時の静けさ、何を思い立ったか走り回る時の心を打つ軽やかなリズム。猫は小さな足も頭も骨が体毛に被われている。フローリングと猫は相性がいい。その音は硬いものと、柔らかな緩和材に包まれた硬いものとがぶつかる音だ。Tの手には猫の頭蓋骨がしっかり感じられているはずだ。私はそれを代理で感じていた。それから思い起こしたのは、農家の祖父母の家の流しにある銀色のたらいに水を張って浸かっている硬い桃だった。桃は表面に産毛のような毛が生えているせいか、柔らかい感じを受ける。ピンクというより桃色というほうが柔らかな印象をもつのもそういうことだろうか。猫、と聞いてかたい印象はまず持たない。彼女は夏の暑い日に頭を悩ませるみずみずしい感性をもっていた。私はTの飼い猫に呼ばれるように、三日後東北行きの新幹線に乗った。

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