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淫蕩の歌舞音曲

弦はフサを何度か見たと言った。「この上の小屋に来とったやろ?」フサが首を振ると「そうじゃ、そうじゃ」とわざとらしくその右手で頭をかく。フサは獣のひづめの形のようだと女が言った手そのものではなく、その手をみせびらかしている事が気に食わなかった。
                                                中上健次『鳳仙花』

「男の人の、見るたんびに、罪つくりなこんなもん持って、しんどないかな、と思うわあ、ふりまわされてえ」
不意に、女を抱きしめた。「痛ア」と女は言った。女をひっくり返し、上になった。それがこの商売で習い性となったものか、女は膝を立てて腰を浮かせた。「いきなり、なんやのん。サービスしたろかと言うとるんやのに」女は言った。それからわらい、科をつくり、腰を動かした。

彼は、胸をかき裂き、五体をかけめぐるあの男の血を、眼を閉じ、身をよじらせ声をあげる妹に、みせてやりたいと思った。今日から、おれの体は獣のにおいがする。安雄のように、わきがのにおいがする。酔漢なのだろうか、誰かが遠くで、どなり叫んでいるのが彼にきこえた。苦しくてたまらないように、眼を閉じたまま、女は、声をあげた。女のまぶたに、涙のように、汗の玉がくっついていた。いま、あの男の血があふれる、と彼は思った。
                                                      中上健次『岬』

中上は自身の生まれ育った紀州の被差別部落を「路地」とよび、その路地で生きる人間を描いた。高貴にして穢れた血に生まれ、早死にを宿命づけられた中本姓の若者たちの生き様は、人間の成しえる美の極致だと感じる。弦はフサの結婚した中本勝一郎の弟で、彼の右手には生まれつき指がなく親指だけが別れた獣の蹄のような手をもっていた。彼は後に酒びたりになり「美恵、美恵」と姪の名を呼ばわりながら、路地を徘徊する。父の法事のために名古屋から帰省した芳子がずっと胸に秘めていたこととして、結婚するときに男の母から受けた惨い仕打ちを妹の美惠に語る。「…そんなの知らんやろ、あんた外に行っとらんから」。路地で生まれ育った者には外に出て初めて知る物語があるのだ。弦はその被差別部落を象徴する人物として配されている。弦が、「悪い方」の手を兄の嫁にわざと見せつけるように、にたにたと不穏な笑みを浮かべながら動かす様は憎たらしいほどに人間らしい。『岬』のラストは、狭い路地に生まれ育った一人の男の、父への憎しみとも憧憬とも区別のつかない思いが体中から若いエネルギーとなって溢れ出るようである。のがれがたい血のしがらみの中で癒せぬ渇望、愛と憎しみが、苦しいほどに描かれている。血や汗、尿や精液などの人間の体液がことごとく濃く描写され、人間のその濃い体液に本能を感じ、中上の書きぶりに人間らしさを感じる。私は針の振り切れた汚いものや本能にこの世で一番心惹かれてしまうのだ。中上の描く路地の人々は、究極の人間である。

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