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芸術によって日常を再発見する

 映画『天気の子』が上映していた頃、「映画館に入る前は雨が降っていたのに天気の子を観終わって外に出ると雨が上がっていて感動した」というツイートを見かけた。僕はここに芸術の本質があると思う。もしその時視聴した映画が全く別の作品であったのなら雨上がりの空なんて当たり前の景色に感動したりしない。精々、雨上がってラッキーくらいなものでしょう。つまり何が言いたいか。芸術は『見えなくなるほど当たり前になってしまった日常を拡大化して見る機能』を備えているということだ。例えば文学作品なんかは、「ドアを開けて外にでた」の一行だけで済むようなことを細かく丁寧に描写する。手が汗ばんでいたとか、ドアノブを右回りに回したとか、その時の感情とか。現実でドアを開けるときにそんな細かいことを考えることはまずないが、そういう見えなくなってしまった日常に気が付かせてくれるのが文学の面白いところで。当然、全部が全部そうだとは言わないけれど。『サマポケ』をやることで僕たちが『夏』を再発見するように。何かしらの作品に触れて世界が以前よりも光り輝いて映るようなら、そこには途轍もない価値があるんじゃないかと思ったりする訳です。


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