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エッセイ(2020/12/28)

年越しを意識し始める十二月末。PM.9:00。雑踏に紛れて帰路を辿る。東西にのびる大通りに沿って街灯がどこまでも続く景色はどこか幻想的だ。黒い外套を翻しサラリーマンらしき男性がパタパタと走り抜け通行人を追い越していく。その先には彼の帰りを待つ暖かい家庭と美味しい夕食があるのだろうか。ほろ酔いで千鳥足の男女二人組は楽しそうに世間話をしている。街灯の暖色の光が家へ急ぐ人々の生活を照らし見守っている。道行く人と街灯のおかげか、一人夜道を歩いている事実を忘れ穏やかな気分に浸っていた。大気に漂う寒気もアスファルトから伝わる冷気も、コートと冬用靴下に拒まれている。
その時、後方から道を開けるよう警告するサイレンが鳴り響く。はっと振り返ると赤色警光灯が目の前を過ぎるところだった。この先で助けを待つ重病人に向かい救急車は全速力で走っていく。サイレンも赤い光もすぐに消え去りまた穏やかな夜が戻ってくる。

冬は寒暖の温度差で突然死するお年寄りが多いという。家の中の暖かい部屋と寒い廊下、急激な気温差で血圧が急上昇し脳卒中を起こすのだとか。脳梗塞や心筋梗塞、生活習慣病を元にした突然死は増えるだろう。こうして書いている今も遠くでピーポーピーポーとサイレンが聞こえている。重篤な急病が増えるのは冬の気温差だけでなく、夏は熱中症で亡くなる人が多くいるのだから、人の死とはどこにでも有り触れているものだ。
サイレンの音から脳梗塞や心筋梗塞といった突然死を連想した時、ふと今朝見かけた友人の呟きを思い出した。嘆き悲しむ彼女は大学時代の後輩の突然死を悼んでいた。このコロナ禍で十倍に増えたという自殺ではなく、なんと心筋梗塞が死因だというのだ。彼女の年下だからまだ二十代前半、将来有望な若者だった。予期できるかもしれない自殺、突然の不幸に当たる事故ではなく、病死。以前会った時は健康そのものだった若者が突然死に至る。私の仕事でも、若者の脳梗塞・心筋梗塞の病歴はたびたび見かける。血液検査や血圧値に特段異常がない(と自分では過信している)若者でもいつ襲われるか分からない生活習慣病であり、後遺症が残る可能性や彼女の後輩のように亡くなる場合もある。
私は友人の輪が狭いもので知人に亡くなられた同年代はいないものの、友人の中には知人の死を経験した者もいる。人生百年時代と叫ばれる現代、二十代とはまだまだ人生の端緒に過ぎない。だが確かに、死は私達のすぐ横にある。病死事故死他殺自殺etc.、これからもずっといると信じていた人がいつどうやって亡くなるか分からない。友人はもっと故人と話しておけば、と後悔していた。そして、いつ我が身を襲うか分からない。いつ到来するか分からない死を前にどう行動するのか、現在が一番満足できるように精一杯生きるのか。亡くなった彼女の後輩は少しでもこの人生に満足して逝けただろうか。
死とは不条理だ。身体は健康でも心が病に侵された人や窮地に陥った人は自殺し、精神が健康でも身体が病魔の餌食になれば病死する。突然不幸にも事故に遭うこともある。度々精神状態が悪化し「早く死にたい」と希う私は生きているのに、前途有望だった彼女の後輩な突然病死してこの世を去った。死とは、運命とは、人間に対してどこまでも残酷に接してくる。死の前では、人間は孤独で無力だ。

大通りを小道に逸れ住宅街の中に入る。コロナの第三波の終焉が見えないまま年を越しそうだ。世間の風潮に同調し、恐らく私も田舎の親の元へ帰省できず孤独に年末年始を過ごすだろう。私以外前後に誰もいない寂しい帰路を辿る。蛍光灯の白々しい光と、頭上でぽっかりと浮かぶ満ちた月の寒々しい光が帰路を照らしている。大通りよりも明るい道なのに、凍える寒さと孤独が体に染み渡り震えがした。




文章練習です。夜道の写真をお借りしました。


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