怒って物に当たる人の心理

何か気に入らないことや上手くいかないことがあったときに、物を投げたり壊そうとしてしまう人がいる。

単純に運が悪く不幸な目に合ってしまった場合などでは、特定の人に対して怒ることが難しいため、こういう行動に陥りやすいかもしれない。また、直接的な事件のせいだけでなく、過去の蓄積したイライラが一気に爆発してしまうケースもあるだろう。

物に当たる人は基本的に忌み嫌われるイメージがあるが、実は何ら不思議な心理ではない。

人は、怒りを覚えると、責任がある対象に制裁を加えないと気が済まない生き物である。怒りをそのままにしておくことは基本できないのだ。この時、何に責任があるのか分からないときに、いわゆる「モノ」に責任を押し付けて制裁を加えているのである。

特に日本人は、八百万の神だとかなんとかで、万物に魂が宿っていると考えている節がある。「モノ」に意志を感じ、それらに責任があると感じて制裁を加えたくなるのも分からなくもない。

少し過激な例を挙げるが、殺人事件を起こされた遺族が被告人を死刑にしないと気が済まないのと実は同じことなのである。この場合は、責任を負わせる対象が人間であり非常にわかりやすく、世俗的にも一般的な考えであるため、特に疑われることはない。「なんで被告人に対して怒ってんの?」と疑問視する声は少ないだろうし、そんな声は批判に押しつぶされ消えてしまうのがおちだ。しかし、冷静になって哲学的に「責任」というものを考えたときに、果たして本当に殺人者に責任を押し付けるのが正しいかどうかは甚だ疑問ではある。

結局、この世界でどのような事象が起ころうとも、「責任」などと言うものは空想の存在でしかない。「責任」とは、社会動物である人間が社会をより都合のよいものにするために、自分たちを納得させるべく生み出された道具に過ぎないのだ。

このように理屈を並べたところで、やはり物に当たるのはデメリットが大きい。
結局「モノ」は人間が動かさないと動かないものであるため、制裁を加えたところで、何かが改善されることはなく、その人の身の回りの社会はよくならないだろう。むしろ物が壊れて本人が後悔することになる可能性の方が高い。私は精神や心についての専門家ではないのだが、そういったメンタル的なことを考えても、物に当たる行為をオススメしている話は聞いたことが無い。

やはり、物に当たるのは良くなさそうである。防ぐには、怒りを生み出さないか、怒りを別な方法で発散、あるいは消化させるしかない。

話題が変わってしまうので長くは話さないが、最近読んだ本で「ミニマルな生活をして、身の回りで起こる事件も何でもないことのように思えてくる」というような案があった。つまり、怒りを生み出さないための方法である。個人的にとても参考になる話だったので、いつか紹介してみたい。



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