見出し画像

お笑い入院日記(番外編)~さようならチタンプレートの巻

コロナ騒ぎの真っ最中だった令和3年の春、滑って転んで落っこちて、そのまま着地に失敗して足首と中骨を骨折した。それ以来、僕と一心同体だった固定用プレートとおさらばする日がついにやって来た。
レントゲンが見せる腓骨のスキ間がなかなか埋まらず、離れ離れになった二つの骨が再会するのに2年近くもかかった。業を煮やして始めた超音波治療もまるまる1年間やった。冬には山に行けるかなぁって病室で医師と会話していたのが昔話みたいだ。

2年前の入院の話はこちら☟

なかなか埋まらなかった骨のスキマ

「右足に入れたプレートなんだけど、いつ頃に取れるのかなぁ?」
入院していた病室で担当医に聞いてからもうすぐ2年になる。
「普通なら1年後くらいですよ」ってのがその時の答えだったんだけど、どうやら僕の骨の成長はかなり遅いみたいだ。

最初は1週間毎に通っていた外来はすぐに2週間毎となり、やがて1ヶ月に一度になった。外来へ行く前にレントゲン室に寄って足の撮影をする。
折れた腓骨のスキマが埋まらず、経過観察が2ヶ月毎になった頃には担当医は別の病院に異動してしまった。

昨年夏ころになって新しい担当医から再手術の話が出始めた。その頃にはレントゲンが見せていた黒いスキマが消えて白くなっているのが素人にも分かるようになっていた。骨ができてる。
新担当医から次回の外来でCT撮影して確認しようと言われ、10月にCT撮影してようやく手術OKとなった。あとは日程を決めて邪魔な相棒とおさらばするだけだ。

再々延期で手術日が決まる

その頃の僕は秋の災害調査で九州・沖縄エリアへ派遣されていて、すぐに仕事を切り上げて戻ることが難しかった。
そこで、新担当医と相談して11月の予定を組んで貰った。
ようやく手術である。

手術が終わって傷口さえ塞がれば、今度こそ山へ行けるのだ。冬の山行なんて最高じゃないか。安達太良山あたりがリハビリには最適である。

ところが、仕事が予想外に長期になってしまい、新担当医にお願いして1ケ月だけ延期して貰うことにした。
12月になれば現地も落ち着いてくるだろうし、いざとなれば1週間ほど仕事を抜けて入院しちゃえばいいやと、勝手に思っていた。

でも、実際に手術となると事前検査やPCR検査など手術までに何度も通院しなければならない事が分かり、ちょっと1週間だけ抜けますってのが難しいと分かった。ちゃんと手順を聞いておけば良かったと後悔しても遅い。

結局、12月の予定もキャンセルして貰い、12月の最終日(28日)に新担当医に相談して、安全策をとって2月上旬で調整して貰ったのだ。僕の見立てでは1月末には放免されるはずだ。

因みに、この仕事はいつ釈放されるか分からない不定期刑みたいなものなのだ。付け加えるなら、いつ招集されるかもわからない。災害時に出動する予備役みたいな仕事だ。本部の状況しだいでどう転ぶか分からない。もしかしたら明日にでも大規模な災害が発生して待機指示がくる可能性だってゼロではない。

年明け早々に2月も頼めるかな?と言われた時、やっちまったと思ったが、瞬時に新担当医の顔がよぎった。
彼は温和な性格なので何も言わないけど、普通なら怒るよなぁ~と想像し、2月の仕事は丁重にお断りした。
手術は延ばすほど難しくなる。

そして2月に入ってから事前検査とPCRをやり、再々延期された予定通り入院した。

整形外科の看護師はかわいい

前回の入院時も感じたのだが、整形外科の女性看護師は若くてかわいい人が多い。それとも、この病院が特別なのか?

もしかして人手不足だから何処も同じだろうか?
まぁ、どっちでもいい。
残念だったのは、知らない看護師ばかりで、名前や顔を覚えている人は二人しか見かけなかった事だ。

退院予定も延期されてしまうww

入院前の予定では手術前日に入院し、翌日に退院となっていた。二泊三日の小旅行みたいなものだ。手術日は寝たきりなので着替えを持たなくていいくらいで、お邪魔な相棒とオサラバできるとあってルンルン気分で入院したのだ。

でも、麻酔から目が覚めてすぐに降参した。

足首といえども切られると痛いのだ。切られた上に外踝を繋いでいるワイヤーを引き抜いたり、骨にねじ込まれていたスクリューを逆回転させて外したりしているのだ。プレートだって少しは骨と仲良しになっていただろう。もしかすると別れたくなくて抵抗したかも知れない。

もうね、ふくらはぎから先がパンパンに腫れて、今夜は寝られるのかな?ってくらいズキズキなのだ。

前回ほどではないけど、その夜はかなりつらくて、痛み止めを点滴で落として貰わないと本当に眠れなかった。
それに、包帯が巻かれていると足首あたりが巨人のようになるから靴を履けない。まともに歩くことも出来ないのに、速攻で仕事に戻るなんて荒唐無稽なお話しなのだ。

余談になるけど、良かったことと言えば、前回と違って大事な部分♂にチューブが繋がっていなかった事だ。お漏らしするような背徳感は魅力的ではあるが、刺さったものは抜かなければならぬ事を考えると、やっぱりヤツはない方がいい。

ところで、翌日退院だぁ~なんてお気楽に考えていたのは僕だけだったようで、担当の看護師は初日に会った時から「翌週には退院できると思いますよ~」と不思議な話しをていたことに今さらながら納得した。
翌日でもいいですよと言っていた新担当医だって、入院予定表には違う日数を書いてあったのだ。

そんな事とは知らず、着替えを1回分しか持ってきてない僕は、とりあえず手術着で過ごす方針を決定した。T字帯があるのでどうせ下着はいらない。
それに、布団のなかで寝転がったまま尿瓶へ放水するのだから格好なんてどうでもよろしい。
いざとなればコンビニで買ってきてもらえばいいのだ。

手術は職人技術の結晶なのだ

手術で除去したプレートとスクリューがベットの横にある小さな棚に置かれていた。
チャックの付いた小さいビニル袋に入れらているプレートは大小一つずつ、スクリューは大小合わせて18本もあった。
長いスクリューは3cmくらいある。いったい抜かれた跡はどうなっているんだろう?小さな穴がたくさん空いているのだろうか。

ビニル袋の中ですぐに目を引いたのは腓骨を固定していた大きなプレートだけど、これは凄いぞと思ったのは、甲の部分にあった中骨を固定していた小さなプレートとスクリューだ。
こんな小さなものを固定するには相当な器用さが必要だろう。やはり外科医の類は医師免許だけではダメで、時計職人のような器用さも要求されるのだ。
そして、もっと驚かされたのは、この小さな部品をオーダーメイドで精密に作る技術だ。これもどこかの職人が作ったに違いない。
いや、もう驚くばかりである。
どこにでもある僕の手術でさえ、色んな技術が結晶となって支えているのだと思うとプロジェクトXを見たような気分になる。
見れば見るほどホントに凄い。

思ったより早く痛みが消える

手術した夜こそ痛くて眠れなかったけれど、翌日からは足早に痛みが消えていった。抗生剤の点滴も翌朝に終わり、トイレにも一人で行ける体勢になった。もちろんT字帯から唯一の下着にはき替えた。
退院の前日にはシャワーを浴びて4日ぶりにゴワゴワ髪を洗ってさっぱりし、ついでに下着を手洗いしてノーパンで部屋に戻った。
夜中にはこっそりコンビニへ行ってチョコを買って食べたりもできた。もちろんノーパンdeコンビニである。

ただ、傷口を守るように膝下は包帯をがっちり巻かれているし、まだまだ腫れも続いているから歩行はかなり困難だ。左足だけ靴を履き、右足は包帯にカバーをかけた状態で出歩くから、歩くたびに身体がガタンガタンとなる。長さの違う竹馬で歩いているような感じだ。
こりゃ退院時は松葉杖を借りなければならない。

手術後48時間

そう思って看護師と松葉杖を借りる段取をしていたら、退院の日の朝に新担当医がやってきて包帯を外してくれた。傷口を確認して消毒薬を塗り、その上に防水テープを貼っただけで、包帯を巻き直すことはなかった。

おかげで右足だけ登山靴の踵を踏んづけて、とりあえず二足歩行で帰ったのでありました。

こうして人生5回目となった長い骨折治療がようやく終わった。
整形外科ならまた入院してもいいけど、もう骨折は懲り懲りなのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?