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彼女がスイスで尊厳死するまで(8)

申請書類

Dignitasからの返信はすぐに届いた。先ずは登録手続きをして、その後は必要な書類をすべて揃えたら連絡しなさいとの事だ。
初めの頃は自分一人でコツコツと交信していた彼は、書類が難しくなるに従って英文でのやり取りを第三者に依頼したいと思った。とは言え、誰にでも話して良い内容でもなく、悩んだ末に翻訳の仕事をしている知人にDignitasへメールを翻訳して欲しいとお願いした。その人は僅かな報酬で快く引き受けてくれ、夫婦で手伝ってくれた。

彼が最初に書いたPersonal Letterは3月下旬、そこから長くても3ヶ月で審査を終えたいと考えていた。その後の事はいつでも構わないし、権利を行使しなくても良いのだ(実際に行使しないで寿命を全うする人もいる)。

彼は完了するまでのやり取りを含め、すべての書類を今も大事に残しているが、追加資料なども加えると驚くべき数量になった事が分かる。

☆重要な申請書類は次の4つだったと彼は言う。
     ①病気が完治する見込みがなく、耐えられない苦痛がある事の証明
     ②本人の強い意志がある事の証明
     ③本人に判断力がある事(精神的に不安定でない事)の証明
     ④二人の本人証明(戸籍や出生証明などの行政書類の他に歯形などのデータも必要になる)

①の書類は東北大とバンコク病院の担当医にそれぞれ書いて貰った。まさかスイスで尊厳死するなんて言えないから、難病患者向けの施設に入るために医師の診断書が必要なんだと説明して誤魔化した。東北大にはいつか必要になる事が分かっていたので早い時期に依頼状を携えて代理人にお願いしておいた。
②と③は問題なさそうなので後回しにした。
④については問題発生だった。韓国籍だった彼女は、彼との婚姻届けを日本でしか提出していなかったため、本国では前の婚姻状態のままだった。在日本大使館の手続きミスではないかと考えられるが、この修正手続きのために彼は韓国人の友人を伴って韓国へ飛んだ。彼女の姉に頼んで彼女の戸籍(韓国では戸籍制度がなくなっているから別の証明書になる)を取寄せて、日本から持ってきた彼の戸籍と合わせてソウルで先ずは婚姻手続きをした。ずいぶんと遡った申請なので罰金を払う破目になった。
そのまま婚姻証明書を発行して貰い、それを英文に翻訳して公証人役場で証明印を貰う。ほぼ二日間、鍾路(チョンノー)にある役所の周辺でバタバタした。

これでひと通り揃ったと安心したのも束の間、意外な部分で不備を指摘されて二人とも心が折れそうになる。

心療内科

彼女の病気は指定難病であり、現代医学では治療法はなく、しかも予後は長くて10年間とされている。このため、医師による①の証明書はすぐに貰えたのだが、その診断書の中にある投薬内容が問題視された。

はじめは彼もDignitasが何のことを言っているのが分からなかった。バンコク病院の医師が彼女をリラックスさせる為に処方していた薬剤が躁鬱病の薬剤リストに入っていたのだ。要は精神的に安定していないのではないか?正常な判断が出来ていないのではないか?と疑義を持たれた。彼女が精神的には問題ない事を証明しない限り審査は通らないと連絡してきた。

これには彼は慌てたし、ここまでやってまだ審査に通らない事が彼女を投げやりにさせ始めていた。本格的な手続に入ってから3ヶ月になろうとしていた。

どうする事もできない彼は仲良くなっていたN先生に相談した。既に並行してスイスへのフライトなども準備しており、これをキャンセルして予約し直す事は時間的にも資金的にも厳しい状態だった。彼は何とかして欲しいと頼み込んだ。

そこで、バンコク病院の心療内科で診察を受ける手配をして貰った。この心療内科の先生にも本当の目的は伝えていない。審査に通るまでは出来るだけ反対意見と戦う労力を省きたかったのだ。実際、彼女の周辺からはもの凄い反発が出ていた。

理解と反発

彼女がスイスで尊厳死するための手続きに入った事をきっかけに、彼女の周辺からは猛烈な反発の声が上がった。あえて沈黙している人を含めれば、理解してくれる人とそうでない人は半々だと彼は感じていた。反対する人の殆どは彼女の現状を知らない人たちだった。

こうした声には彼は先頭に立って戦った。理屈もクソもない、大事なのは他人の意見やエゴではなく彼女の意志だと彼は言い張った。気の張った彼は誰に対してもケンカ腰だった。親も身内も関係なかった。

彼女の親戚も当初は反対した。実家に戻ってくれば実姉が面倒を見るとも言ったが、彼女は彼を一人残して帰るのは出来ないと断っていた。彼には実家に帰りたいと言いながら、彼女は彼を一人にする事が出来なかった。本当に二人は仲が良かった。

やがて彼女の姉や兄が理解を示すようになり、二人はやっと気楽になれた。身内の理解が得られれば他は気にしない。そのうち、彼の周りで面と向かって反対意見を言ってくる人はいなくなった。
陰では相変わらず嫌な事も耳にしたが、彼としては大事な時間さえ取られなければどうでも良かった。相手にしている暇などなかったのだ。なかには彼は保険金が目当てで嫁を殺そうとしているのだと言う人までいた。

あまりの暴言に怒った彼は、二人の保険をスイスへ行く前にすべて解約して見せた。一人ずつ殴ってやりたい、と彼が良く言っていた。

グリーンライト(死ぬ権利)

精神科の医師は二人を優しく包み込むような人だった。診察をして貰い、彼女に問題がない事を証する診断書を書いて貰った。これでダメならもう手がなかった。新しい診断書をDignitasへ送り、あとは結果を待った。

その間にスイスへのフライトやホテルはすべて確定した。バンコクを離れるのは7月20日に決まった。

数日後、Dignitasから待ちに待ったグリーンライトと呼ばれる受入通知が届いた。これをもって、彼女はスイス国内においては尊厳死する権利を認められた事になる。それだけでなく、スイス国内においては医師といえども彼女の意志に反した医療措置などが出来なくなり、もし彼女の意志に反する事をすると処罰される。スイスに入ってしまえば、もはや彼でさえも手出しできない。

具体的には、終末期において彼女がいかなる状態になろうとも、彼女を救命する目的で病院に搬送する事などを禁止する宣言書面にも彼女は署名していた。彼女を救おうとする行為が法的に禁じられるのだ。それほど厳格な権利だった。

二人は最終的にDignitasに対して尊厳死の助勢から火葬、遺骨の国際配送までを依頼した。

カレンダーは7月に入ろうとしていた。バンコクを出発するまで残り20日ほどになっていた。

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