反応しないということ--ブッダの教えに学ぶ心の使い方
* ブッダの発見した四つの真理
我々の日常はしばし何かへの執着とか何かへのイライラとか何かへの不安などといった諸々の感情に支配されることが多いでしょう。こうした我々が生涯で体験する様々な憂苦懊悩を古代インドの賢者ブッダは「八つの苦しみ」として定義しました。
ここでいう「八つの苦しみ」とはすなわち「生老病死」の四つの「苦しみ」に「愛別離苦(愛する人と別れる苦しみ)」「怨憎会苦(嫌いな人に出会ってしまう苦しみ)」「求不得苦(求める物が手に入らない苦しみ)」「五蘊盛苦(欲望が燃え盛る苦しみ)」という四つの「苦しみ」を加えたものです。
最後の「五蘊盛苦」の「蘊(包み)」とは人間を成り立たせている「色・受・想・行・識」という五つの構成要素のことです。「色」とは物質を指し「織」は意識を指しています。そして「色」と「織」を繋ぐものが「受(感受作用)」「想(知覚表象作用)」「行(意志の作用)」です。この「色・受・想・行・識」のプロセスが煩悩を生み出し欲望が燃え盛るという「苦しみ」を作っているわけです。
ブッダが菩提樹の下で悟られた真理は「四諦」と呼ばれます。「四諦」とは「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」という四つの真理の総称です。
第一の真理「苦諦」とは、この世は「苦しみ」に満ちているという真理です。第二の真理「集諦」とは、様々な「苦しみ」には「原因」があるという真理です。第三の真理「滅諦」とは「苦しみ」の「原因」を消せば「苦しみ」という「結果」もなくなるという真理です。そして第四の真理「道諦」では「苦しみ」を解決するための方法が示されます。これは「八正道」と呼ばれます。
* ムダに反応しない生き方
独立派の出家僧として知られる草薙龍瞬氏は著書『反応しない練習』においてこうしたブッダの発見した真理をベースに「ムダに反応しない」生き方を教えています。同書は人生の様々な「苦しみ」を「心の反応」として捉え、その原因は人の「求める心」にあるといいます。
ブッダが発見した「求める心」とは「求め続けていつまでも満たされない心」のことであり、これを仏教では「渇愛」といいます。「求める心」とはいわば反応し続ける心のエネルギー源のようなものです。
「求める心」はその発生後に「七つの欲求」に枝分かれします。現代心理学的にいえば「七つの欲求」とは①生存欲、②睡眠欲、③食欲、④性欲、⑤怠惰欲、⑥感楽欲(感覚の快楽)、そして⑦承認欲です。
つまりまず初めに「求める心」があり、それが「七つの欲求」を生み出し、その欲求に突き動かされて、不安や不満や怒りといった「心の反応」が起きるとということになります。
* 心を正しく理解するための三つのアプローチ
ゆえに、様々な苦しみを解決する方法とは、心の動きに「反応」するのではなく、正しく「理解」することで「ムダな反応」をしない生き方を身につけるということです。そこで同書は、心を正しく「理解」するための具体的なアプローチとして以下の三つを挙げています。
⑴ 心の状態を言葉で確認する。
今の心の状態を「疲れを感じている」「気力が落ちている」「イライラしている」「考えがまとまらない」などという風に客観的に確認します。これは「ラベリング」と呼ばれる心の状態にぺたりと「名前」を貼って客観的に理解してしまう方法です。このラベリングを日常の動作にも「歩いている」「掃除している」「食器を洗っている」などと同じように適用します。
⑵ 身体の感覚を意識する。
手があるという感覚、手を動かす感覚、立ち上がる感覚、歩く時の足の裏の感覚、呼吸する時のお腹や鼻先の感覚など、全身の感覚を「見つめながら」動作をします。
⑶ 頭の中を分類する。
心の状態を①貪欲(過剰な欲求に囚われている状態)、②怒り(不平不満を感じている状態)、②妄想(アタマの中でぼんやりと何かを考えている状態)に分類します。
この「貪欲」「怒り」「妄想」の三つは仏教的には貪・瞋・癡の三毒と呼ばれます。これらは仏教的には戒めるべき「三大煩悩」に位置づけられていますが、本書ではこれらを心の状態を見る有効なツールとして捉えています。
* 判断と慢
そして「妄想」の一種に「判断」があります。あれはこうに決まってる、あいつが悪くて私が正しい。人は判断したがる生き物です。判断は気持ちいいものだし、その判断が共感を得る事で承認欲も満たされます。こうした判断したがる心理の根底には物事への執着があります。ブッダは人は三つの執着によって苦しむといいます。求めるものを得たいという執着、手にした物ががいつまでも続くようという執着、苦痛になっている物事を無くしたいという執着です。
とりわけ自分の価値に執着する判断を「慢」と言います。傲慢さ、プライド、虚栄心、さらには劣等感や「自信がない」という思いも「慢」に該当します。
人は皆、自分の判断こそが正しいと思いがちです。けれど判断が正しいかどうかのブッダの基準は「真実であり、有益であること」です。この基準に立ち返ることで我々が行なっている判断のほとんどは実は真実でもなく 有益でもないことに気づかされます。
ブッダが教えるのはどのような「判断」も究極的には「妄想」であり、判断の正しさに執着すればそこには「慢」が生まれると本書はいいます。仏教が目指す「正しい理解」とは逆説的ながら「正しいと判断しない」理解ということです。
* 心の五つの反応
また草薙氏は別著「これも修行のうち。」において心の反応を「感覚」「感情」「思考」「意欲」「意識」の五つの種類に分けています。この五つの反応こそが普段我々が「心」という名前で認識しているものの本体です。ブッダの教えのオリジナルに近い原始仏教では心について次のように述べています。
ここでは心の五つの反応とは「無常」であり、これらの反応への執着を手放せば一切の苦しみは消えていくという真理が示されています。
* 反応を切りかえるということ
これらの五つの反応のうち「意識」は心の底を流れ続けるエネルギーのことです。まだ感情や思考などの反応が生まれる前の「反応の素」のようなものといえます。この「意識」が外の刺激に触れた時に「感覚」「感情」「思考」「意欲」という四つの反応を作り出します。
「感覚」とは目・耳・鼻・舌・肌の五感を通して生まれるものです。「感情」は快か不快かという反応です。喜びや怒り、悲しみや楽しさなど、様々な反応があります。「思考」とは脳で考えることすべてです。余計な妄想や不安や心配もすべて思考の産物です。「意欲」は何かを手に入れたい、行動したいというエネルギーのことです。食欲などの単純な欲求のほか、やる気や願望、情熱などの前向きなモチベーション、さらにはつい腹を立てて言葉や行動に出してしまうといったネガティブな衝動も含まれます。すなわち、我々の日頃の悩みはこの四つの反応のいずれかに属しているということです。
そして草薙氏は同書にてこのブッダの教えから「苦しまない心の使い方」として「意識」を向ける対象を「感覚」「感情」「思考」「意欲」のいずれかに切り替えることで不快な反応をリセットしてしまうという方法を紹介しています。例えばストレスという不快な感情で反応している状態を体の感覚に意識を向けかえることでリセットしてしまうわけです。こうした発想ができるようになると心が特定の反応に引っかかることが少なくなると同書は述べます。
* マインドフルネスアプローチとしてのブッダの教え
以上のような「反応」をめぐるアプローチは臨床心理学的には第三世代の認知行動療法として注目されるアクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)と親和的です。ACTでは様々な心理的・行動的な問題を言語と現実を混同した「認知的フュージョン」が引き起こす「体験の回避」として一元的に捉えます。
我々はしばし「体験の回避」という「ムダな反応」を繰り返して余計に苦しくなるという悪循環に陥ります。そこでACTの臨床では「認知的フュージョン」を解除するためにのエクスポージャー系の技法や自己を俯瞰的に見るためのセルフモニタリング系の技法により「体験の回避(ムダな反応)」を低減していきます。こうしたACTの技法はマインドフルネスアプローチと呼ばれ、その根底にはやはりブッダの教えがあります。何かへの執着とか何かへのイライラとか何かへの不安などといった「ムダな反応」を避けるためのメンタルトレーニングとして、ブッダの教えを生活の中に活かしてみるのは良いでしょう。
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