てらっち

普段はパソコンが苦手な方にWEBサポート、WEB制作、WEB講座をやったりしています……

てらっち

普段はパソコンが苦手な方にWEBサポート、WEB制作、WEB講座をやったりしています……が、実は日本神話「古事記」「日本書紀」「ホツマツタエ」の謎解きが大好き!日本の神社に祀られている神様が、古代にどんな暮らしをしていたのか、考察したり、神社や神様の紹介をしていきます。

最近の記事

奈良旅行がきっかけになった個人的転換期の話し

【ひとりごと】 奈良へ行ってきました。 弾丸日帰り旅行です。 でも意外と、思ったより速く着いたので、また行こうかな😊 ……と、旅行の記事はまた別で書くとして。 今回の旅行に行くまでに、大きな気づきのある時間となりました。 そんなわけで この先は旅行の記事ではないのと 個人的に重たい話なので 重たい話を読みたい奇特な方だけお進みください。 実は奈良行きを決めるのにもひとくさりありました。 友人あやさんがSNSで「奈良の丹生川上神社に行きたい」と呟いていて、「行きたい

    • 桃の節句の由来は結婚のはじまり。昔は夫婦で天皇だった

      今日は桃の節句🎎 古事記より古い記録と言われる「ホツマツタエ」には 「ウビチニ・スビチニ」 というご夫婦の神様がいらして この桃の節句🎎の由来と書かれています 昔々、とても仲の良いカップルがいて、 桃の木を植えてから3年目 3月3日の夜に 2人は月を盃のお酒に映してそっと飲み (三々九度の由来。おまじない的な側面もあるんでしょうね) 結婚します。 なんかラブラブな記述が続き笑 その後夫婦で天皇に即位しました。 この時は夫婦ともに天皇になったんですね このお二人から

      • 磐座(いわくら)〜阿波々神社 参拝記その3

        死にそうになってたどり着いた、阿波々神社参拝記のつづきである。 さて、阿波々神社の参拝は終わったので、ここへ来るときに見かけた看板に書かれていた場所へ行きたいと思う。 一つは「無間(むげん)の井戸」。 もう一つは「磐座(いわくら)」。 まずは一つ目。「無間(むげん)の井戸」 この神社は「無間の井戸」と呼ばれる井戸があるという。 遠州七不思議の一つで、つけばなんでも願いが叶うという「無間(むげん)の鐘」があったとか。でもみんなが争って山に登り、その鐘をつこうとし、登山

        • 神龍(シェンロン)を呼ぶ玉?1つゲットなり。阿波々神社訪問記その2。

          「阿波々神社」と書かれた札の導くままに、傾斜を登っていくと、程なく神社へ到着。 神社ミュージックがかけられ ヒチリキの高い音が人気のない山中に響く。 あまり雅楽がこう響く神社って意外とないんじゃないだろか。 拝殿に向かうと、手洗い場の案内が書かれていた。 『手洗い場はこちら』 せっかく拝殿まで来たが、一度手洗い場まで戻る。 手水舎ではなく、本当に水道だった。 手を清めてから拝殿に戻る。 拝殿は、ガラス戸の中に入れる旨の貼り紙があった。中に入ろうと覗いてみるのだけ

        奈良旅行がきっかけになった個人的転換期の話し

          阿波々神社、山道事件

          とある昼下がり。 ふと思い立って地元の 阿波々神社⛩️へ。 狭い山道を車で🚗登ることに。 嫌な予感はしたんだけど、 薄々わかってはいたんだけど、 事件は狭い山道の途中で起こった。 一台しか通れない道を 向こうから横幅のでかい黄色の重機がやってきたのである😳 向こうから車の姿が見えた瞬間「嘘でしょ」とパニック。 それもやたらと図体がでかい。 こんな重機が何しに来たんだ、 こんな山奥へ。 ぎゃーぎゃー言いながら山道をバック💧 仕方がないからただ下がる。向こうはズン

          阿波々神社、山道事件

          【神様は昔人間だった】

          神社に祀られている多くの神さまは、実際に昔、日本に生きていた"人間"のご先祖さまである、という説があります。 神様と呼ばれていますが、古代日本を駆け巡り、国を治めていた英雄やお姫さま、人望を集めた人たちが神格化して「神さま」となり、神社に祀られているわけですね。 (あ、「風の神」「かまどの神」といった、自然神は除きます。) 「かみ」=「偉い人」 例えば、人間を「神」と読んでいた、その名残りとして挙げられるのが「かみ」という言葉。言葉そのものに残っています。 偉い人のこ

          【神様は昔人間だった】

          SHOGENさんの本から考察×「国譲り」神話は事実だったのかも

          YouTubeで話題のショーゲンさん×ひすいこたろうさんの著書『今日、誰のために生きる』を読了して、頭の中でこれまで違和感のあった日本神話「国譲り」にピタッとはまったので、そのことについて書いてみたいと思う。 この本の情報では、縄文時代の人たちは1万5000年もの間、争いがなかったという。これまで縄文時代の遺跡を発掘しても、「戦って死んだ人」「武器」などの形跡が出てこないんだそう。 つまり争いが、この長い年月の間なかったということ。 そこでふと浮かんだのが、出雲国の国譲

          SHOGENさんの本から考察×「国譲り」神話は事実だったのかも