4月8日 人類よツイ廃であれ

こんばんは。やまだです。

昨日は役者仲間と4時間ほどLINE電話で近状報告。今私たちはなにをするべきだろうねって話をしました。熱くなりました。

熱血ネガティブ発動です。

何の話題になっても結論は「頑張ろう」。
まあ、そうだよなぁ。頑張る以外できないよね。
明けない夜はないと信じて「頑張ろう」。

夜が明けた時、夜明けを一緒に迎えられなかったひとを想い、頑張れなくなった時に、
今の頑張りは、何もかもを優しさ変える勇気になるんだと。絶対に、だれかの心の支えになるんだと信じて今「頑張ろう」。

私は友達に恵まれた。誰も失いたくないなぁ。

今考えても仕方ないことかもしれないし今私ができる行動なんてミジンコレベルなんだけど、どんなに小さくてもその結果はやってくる。

日本の夜明け、世界の夜明けが来た時に、どう喜んでいいのか、どう悲しんでいいのかわからない。でも、どう喜んだところで悲しんだところで私にできる行動はミジンコレベルなのだ。

私は、死ななかったら生きるしかできないです。

いつか、苦しみから心を解放してあげられる秘密兵器をつくりたい。演劇や文学で。いつか、もっと深く学んでみたい。
個人的にはいつも詩に救われてきました。
よくわかりませんが、詩には苦しみをなくす作用はありません。だけど詩は苦しみを大切にしたまま何かしらの欲を満たしてくれる。

萩原朔太郎先生の詩集 月に吠えるの序文にはこうありました。


人はだれでも単位で生れて、永久に単位で死ななければならない。
とはいへ、我々は決してぽつねんと切りはなされた宇宙の単位ではない。
我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異なって居る。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである。この共通を人間同士の間に発見するとき、人類間の「道徳」と「愛」とが生れるのである。この共通を人類と植物の間に発見するとき、自然間の「道徳」と「愛」とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。


満たされたのは道徳と愛だったみたいです。
書物ってすごい。何十年、下手すりゃ何千年も前の言葉から生まれた道徳と愛がいつまでも新鮮なのだ。永久に私を孤独にさせない。

今必要な努力のひとつに情緒の発信もあるのではと考えています。みんなが、誰も孤独にさせないマンになってほしい。
ツイッターとかで流れてくる言葉に勇気付けられることもけっこう頻繁にあるよ。
私ツイッター廃人だから、常にタイムライン監視してるし。フォロワーさん大好きです。

あ、みんなツイ廃になれば良いのでは?知らんけど!