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待合室にて

先日は泌尿器科と血液内科の受診日だった。

地方の総合病院は相変わらずの混みようで、イオンもかなわないのでは、と思わせた。血液と尿検査をおえると、泌尿器科の待合室でひたすら自分の番を待った。外来患者は60歳以上とおぼしきひとがほとんどだ。

そんななか、一組の親子が姿を見せた。茶色のつなぎを着てタオルを頭に巻いた父親と、ジャージを身につけたくりくり頭の男の子。年は幼稚園年長くらいだろうか。

男の子は本棚に一冊だけあった絵本を取ると、ぽん、と父親の膝に乗り、目一杯にページを開いた。絵や文字をまだ丸っこい指でなぞりながら、時々父親を振り返った。その顔は、病院にきたとは思えないほどきらきらした笑顔だった。息子の笑顔に、口と顎に髭をたくわえた一見こわもての父親の頬も緩んでいた。

目の隅で親子を見つめ続けた。あの子くらいの年の頃、おれもまだ歩けたんだよな、と思いながら。

このからだになってもう30年以上たつけど、脚が動いていた記憶と感覚はしっかり残っている。

実家の、木がぎしつく階段を駆け上がった。棚の上から飛び降りて母から叱られた。幼稚園の庭やグラウンドを走り回った。友達と木や電柱にのぼった。公園のブランコを一回転するくらいにたちこぎした。保育園最後の運動会で出場した障害物競争でも、難関だったハードルをジャンプして飛び越えた。練習では怖くて飛べず、立ち止まってからまたいでいたから、飛べた時はつい声を上げた。

自転車に乗ったこともある。年中の時だ。家に帰ると、新品の自転車が玄関先にあった。ライトのカバーにルパン三世のイラストが描いてあった。ルパンのイメージに合わせたのかフレームは黒だった。かっこいい。いっしょに帰ってきた双子の弟と目を合わせると、彼も感激したような表情になっていた。

サドルやかごについていたビニールを乱暴に破ると、私と弟はさっそく自転車に乗り、近所の神社へとこいでいった。当然補助輪つきなので、怖くはなかった。少しいったところでペダルをつよくこいでみた。自転車はがらがらと補助輪を鳴らしながらスピードを上げた。ためしにサドルからからだを浮かして踏み込むと、さらに速くなった。顔に空気がやわらかくあたり、おでこが丸見えになった。

神社に着くと、広場を走り回った。広場真ん中に建つ誰かもわからない銅像のまわりをぐるぐる回り、真っ赤な太鼓橋のかかる池で休んでいたあひるにライトを照らしてからかい、わざと砂場に前輪を突っ込ませてみたりした。

その時の様子は、一緒についてきていた母親が撮った写真におさめられた。実家のアルバムを開くと少し色褪せた印画紙に、自転車にまたがって笑う私と弟がいる。

あの頃は、あしが動いていた。地面を踏みしめていた。立っていた。歩いていた。走っていた。跳ねていた。

自転車に乗りはじめてほどなく、からだの異常を覚え、病院へと連れていかれた。二度の手術と、数限りない検査や点滴や注射やレントゲンやCTを泣きながら受けた。厳しいリハビリも連日嫌がりながらも行った。病院を出たのは二年後だった。その時には下半身の感覚と動作をすべて失い、車いすに乗っていた。

ルパン三世の自転車から、補助輪がはずれることはなかった。

男の子の診察の番がきた。父親に連れられて男の子は診察室に入っていった。私とおなじ主治医だった。男の子に格別怖がるようなそぶりはなかった。むしろ口には笑みさえ浮かんでいた。主治医に会えるのがうれしいのだろうか。

十分ほどたつと、男の子は父親とともに診察室から出てきた。「ありがとうございますは?」と父親に言われた。男の子ははにかむしぐさの後、ぺこり、とドアの中にくりくり頭を下げた。診察室の奥から看護師の「さようなら」という声がした。

「よーし、これでおわりぃ」父親は言い、待合室から受付へと歩き出した。つなぎの腰辺りをしっかり握り、男の子もついていった。私はその背中が見えなくなるまで、ずっと見送った。

これでおわり。その言葉が頭に残った。これで「全部」おわりなのか。それともこれで「今日は」おわりなのか。

いずれかはわからない。でも、もし再会する時があるのなら、それはここじゃないことを祈りたい。ここでなんてきみに会いたくない。できれば公園がいい。木にのぼり、ブランコを一回転するほどたちこぎし、補助輪のはずれた自転車に乗っているきみに会いたい。車いすに乗っているきみじゃなく。

でも、もし。万一またここで会うことになっても。私は嘆かない、ほんとは泣きたいけど、涙は胸の奥に押し込める。

もしかしたらこれから、病室がつんざくような声で泣くことも、注射針に心底おびえることもあるかもしれない。麻酔で眠らされ、からだをまっぷたつに切られるかもしれない。車いすや補装具なしでは動けないかもしれない。薬を飲み続けるかもしれない。

そんな、苦しいことが多くなる将来かもしれない。

それでも、きみに、生きて会いたい。

どんなからだになっても、どんなこころになっても、生きる意味を見いだせなくても、それでも生きていてくれたらいいと切に願う。

こんなからだになっても、こんなこころになっても、ほんの少しだけかもしれないけど、笑える瞬間はあったから。それだけでまわりのひとたちも笑ってくれるから。ほんとにささやかだけど、それはとっても幸せなことだから。

そう伝える時の笑みが、きみくらいにきらきらだといいのだけれど。もしかしたら、あのじいちゃん、なんかしわしわ顔で笑ってる、と気味悪がられるかもしれない。まあ、それならそれでいい。

電光掲示板に私の受付番号が光った。親子の去った先から顔を前に戻すと、男の子とおなじ診察室のドアを開けた。この後は血液内科だ。








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