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愛しいもの

書くことは、楽しいものじゃない。

辛く、悲しく、苦しいものだ。

自分自身を題材にした、私小説めいた作品をひたすら書き続けてきた私にとって、それは当たり前のことだと思っていました。血を吐き、みずからを切り刻み、無音の叫びをあげて。そうして書いたものでなければ、読む方の胸に響くものができるわけない、と。

今年の春先から、ある短編をずっと書き続けていました。書いては消し、継ぎ足し、削ぎ落とし…。なんべんもそんなことを繰り返しているとかなり心身が疲弊するものです。単純に飽きてもきますし。

「ぼくのにっきちょう」を書いたのは、その作品に手をつけるのがちょっとしんどくなっていた時期だったと記憶しています。

きつい…。いやになってノートPCを片付け、寝転がり、noteで皆さんの記事を読んでいました。そうしているうち、ぼんやりと、本当にぼんやりと浮かんできて、スマホをぽちぽち押しながら書いたのがこの作品でした。

下書きもメモもあったわけでなく、本当に指が動くまま、話はどんどん進んでいきました。ふとみたら、ぶたのぬいぐるみがおなじように寝転がっているので、こいつも、と、いたずらするみたいに出してやりました。

気づいていたら、作品はできあがっていました。あれ、できた?本当にそんな感じでした。そして直後に気づいたんです。

楽しかった、と。

らくがきだな、こりゃ。でも、まあいいか。そんな気分で公開したら、自分でもびっくりするくらい、皆さんから反応がありました。あるフォローさんにはありがたいことにマガジンにまで入れていただけました。

なんかぽかんとした気分になった後、もしかして、と思ったんです。

楽しんで書いても、いいんだ、と。

改めてになりますが、このたび、おまゆさんに作品を朗読していただきました。

何度も繰り返し聴きました。これ楽しい、おもしろい。気がつくと、笑っている自分がいました。なごんでいる自分がいました。

すべて、おまゆさんのおかげです。

そんな自分になれたのは、おまゆさんが子どもが楽しんで書いたらくがきに命を吹き込み、きらきらした宝石に生まれ変わらせてくださったおかげです。おおげさでなく偉大な功績だと思います。

これはもう私の作品ではありません。おまゆさんの作品です。そのことが、私はもう嬉しくてしかたない。

他の方の作品朗読でもそうでしたが、おまゆさんは作品を深く深く読み込み、図書館にいって文献を調べ、作者に聞き取りをし、と、本当に驚くくらい綿密な準備のうえ、朗読されています。だからこそ、原作とはまったく違った、あるいはまた別の魅力を引き出すのだ、朗読とはなんて素晴らしいのものなのか。今回、心底そんな風に感じました。

今回は自薦でしたが、おまゆさんは私の「街をこぐ」も読みたい、といってくださいました。

この作品はもう十年以上前、ある縁で地元タウン誌(現在は廃刊)に掲載されたものがベースになっています。

でも、なぜこの作品が選ばれたんだろう。改めて読み返して、当時書いた時のことが思い出されました。

この作品も、楽しみながら書いていたんだ、と。

書くことは辛く、悲しく、苦しいもの。

その考えは変わっていません。これからも、もがきつつ書き続けると思います。

でも、そのなかに「楽しい」を仲間へいれてもいいのかな。

書くこととは、それらすべてをつつみこむ、愛しいもの。

おまゆさんの朗読が、声が、そのことを教えてくれました。

おまゆさんのもとにはきっと、「読んでください!」のリクエストがきていると思います。私も他の方の作品が、今度はどんなふうに生まれ変わるのか、楽しみでしかたありません。あ、でも、おまゆさん、決して無理はしないでくださいね。

朗読も、楽しんでやらないと、です。

最後に、この企画をはじめてくださったおまゆさんと幸野つみさん(ずっとお名前をあげれず、大変失礼しました)に、こころよりお礼申し上げます。ありがとうございました。

この作品は、おふたりに捧げます。あまりうれしくないかもしれないですけど笑




いただいたサポートは今後の創作、生活の糧として、大事に大切に使わせていただきます。よろしくお願いできれば、本当に幸いです。