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入学式は青空のもとで

先週末、病院帰りの車中で中学校の入学式が行われているのを見かけた。

もう式自体は終わったらしく、玄関先に置かれた「令和二年度 入学式」の看板の前で、真新しくもちょっとまだ身になじんでいない制服姿の新入生と、スーツ姿の親御さんが並び、スマートフォンやデジカメで記念撮影をしていた。観光地みたいに撮影の順番待ちをしている親子がまわりにたくさんいるのが、なんともほほえましかった。

とはいえ、学校に来るのはとりあえずこの日だけ。今年ばかりは式が終われば再び休みとなってしまう。せっかく袖を通した制服なのに、またしばらくはクローゼットにおさまってしまう。そんな光景を想像したら、なんだか自然とため息がもれてしまった。

私は小学校の入学式に出席したことがない。

一年生にあたる時期は入院していて、検査やリハビリを受け続ける日々だった。一応入学予定だった小学校からネームプレートを母親から受け取っていたはいた。緑色のプラスチックに白い文字で学校名と名前が彫られていた。けどベッドの上でそれを見ても、もう小学生なんだよ、という実感はわかず、あまり眺めた覚えがない。床頭台の引出に入れてしまうとあとはそれきりで、結局いつしかなくしてしまった。

覚えがない、といえばもうひとつある。私には双子の弟がいる。弟は健康そのものだったから、当然小学校の入学式には出席したはずだ。だが誰が付き添ったのだろう。母親は病室の私につきっきりだったからほとんど家を空けていて、家事や弟の世話は祖母がやっていた。だから祖父母か父親が行ったのだろうか。それとも少しの時間病院を抜け出して、母親が行ったのか。

今度聞いてみようか。でももし「そういやじいちゃんとばあちゃんが来たっけな」と答えがかえって来るかもと思うと少しためらわれる。彼は母親に甘えたい時期に甘えられなかった。その原因を作った私はその返事を聞いた時、どんな顔をしたらいいかわからない。

私が小学校、正確には養護学校小学部に通いだしたのは、二年生の二学期からだ。当然、入学式はなかった。おなじような子が、多分養護学校にはたくさんいたはずだ。病院からそのまま学校に直行したような子が。一生に一度の小学校入学式は自分たちにはなかったんだな。そう思うと当時の自分たちが「むつこく」なる。私の地域の方言で直訳?すると「かわいそう」になるのだが、それよりもう少し憐れみみたいな意味合いが強く含まれている。

祖父母には「おら、おまえがむつこくてよ」と、しばしば言われたものだ。

その時はそんなにむつこいかな、と首をひねったものだが、今ならなんとなくわかる。もし今、ある小さな子が病気やからだのハンディで外に出られず、家の窓から近所の子供たちが駐車場で野球やサッカーをしているのを眺めているのを見かけたら、たまらなく「むつこく」なるだろう。かつての私の姿がそこにあるから。そういう感情を持つことがただしいことなのかはわからない。ただ相手に涙ぐみつつ寄り添うようなこの言い回しが、年をおうごとにいとおしくなっている。方言そのものが使われなくなってきているから、「むつこい」を耳にすることもなくなったけど。

私に入学式はなかった。でも、それに近い日のことは、まだ記憶にある。

私が二年間の入院生活を終え、退院した日のことだ。

リハビリでだいぶ操作も慣れてきた車いすをあやつり、病院玄関から出た時、私の目に飛び込んできたのは、雲ひとつなく晴れ渡った青空だった。そしてあたたかな風と共に、ほとんど散り終えた桜の花びらがいくつか、ひらひらと舞っていた。

退院には、小児科病棟の看護師さんたちが何人か見送りにきてくれた。元気でね。また遊びにきて。少し記憶があいまいだが、そんな言葉をかけられた気がする。

二年分の荷物を車に積み込んだ母と、看護師さんたちにお辞儀をした。母はどんな思いだったろうか。私は照れくさくて、うつむくばかりだったけど。

母と車に乗り、病院から走り出した。バックミラーに看護師さんたちが手を振っているのが見えた。その姿が見えなくなると窓を開けた。電柱や信号機の向こうに、どこまでも青空が広がっていた。後にも先にも、あれだけ胸にしみいった青空を見た覚えはない気がする。

空の青だけが鮮明な、すっかり色あせたそんな記憶を振りかえると、あれが私にとっての入学式だったのかもしれない、と思う。

病院という箱から出、ハンディをおい車いすとなった身ではじめて外の世界という場所へ向かう、私だけの入学式だった、と。

再び車を走らせると、入学式も記念撮影も終えた親子連れが次々と家路につくのに出会った。制服がまだまだ窮屈そうな男の子が、首元をしきりにさわっていた。つい笑いそうになった。大丈夫、すぐ慣れるから。そんな彼の上には、あの日のような青空が広がっていた。




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