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風土記

今から1300年ほど前の奈良時代、都が平城京に移った頃、当時の政権からこんな依頼が日本各地に出されます✨

郡や郷(村)の名前をめでたい文字に変えなさい。
銀や銅などの鉱物、その他珍しい草木や鳥獣があれば報告しなさい。
どういう山、川、野原があるか、その名前の由来を報告しなさい。
豊かな土地か荒れてる土地かを報告しなさい。
地方に伝わる伝説、昔話を記録して報告しなさい。

これが風土記と呼ばれるもの。今残っているのは出雲国(島根)、播磨国(兵庫)、肥前国(佐賀・長崎)、常陸国(茨城)、豊後国(大分)の五つだけ。その他の国の風土記もあったけど今は残ってない💦

ところが、初めての調査依頼。調べるとなれば人づてに話を聞き時には深い山々を越えないといけない。TV番組の「ポツンと一軒家」だったかな、あんな感じで探すのか❓

最初に出来た播磨風土記はそれから約2年後に完成。それくらいかかるだろうね。でも遅い所は20年以上経ってから提出😮

多分、見なかったことにして依頼を放置してたはず🙄

ところで風土記には日本昔話にでてくる話がある。子供向けじゃないからもっと露骨な表現だけど💦

でもさらに読み解けばなるほどと思うことも。

例えば、播磨の国風土記に出て来る、大己貴命( おおなむちのみこと )と少彦名命(すくなひこのみこと)の我慢比べの話。

二人はとても仲が良い神様で、ある日、埴(赤土の粘土)を持って歩くのトイレ(大きい方)を我慢して歩くのとどちらが遠くまで行けるか競うことに。数日歩いてついに大己貴命が我慢できなくなって用を足す。それを見た少彦名命も大笑いして埴を投げ出した。その埴を投げ出した場所が埴岡と呼ばれるようになったとか。

なんという我慢比べ😅

子供の頃に読んだ話では、大きい荷物を背負うのと重たい荷物を背負う話だった気がする💦

ところが学者の方は、これは肥料の話(人糞)を示唆してるのではないかとか、埴輪を作る土が近くで採れたのではないかと考えてる😮

埴(はに)は土師(はじ/はに)に通じ、古代の埴輪の製作や陵墓の造営に関わりがありそう。近くの糠岡には、応神天皇(3世紀)の頃に渡来してきた百済の人々が彼らの風習のままに山城を築いたという記述もあるし。

また、播磨の国つ神(伊和大神)とアメノヒボコ(渡来神)が戦ったのもこの辺り。

こんな感じで今は古代の世界にどっぷりハマってます。
最後までお読みいただきありがとうございました💛

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