見出し画像

冥界への旅(ショートショート)

「二度と戻ってこられない国へ、かんぬきのかかった扉にちりの積もった暗黒の家へ」

バビロニア聖典 女神イシュタルの地下世界への下降/『図説 金枝篇』J・G・フレイザー著


あれは、花火大会を見に行った帰りのこと。急行電車は激混みで、身動きひとつ取れない。そんな中、幼馴染のタマキは俺の服をしっかり握っていた。

電車が駅に着くと、降りる客に押し出されるように二人共ホームへ。それが終わる間もなく、我先にと電車へ乗り込む人、人、人。その時、横から割り込んできた大人が、通せんぼするように扉の前に立った。

なんだよ、乗れないじゃん!

すると、タマキがいたずらっぽい顔でこちらを見上げる。

「ねえ、ヨッシー。今からプール行かない?」
「はぁ? どういうこと?」
「いいから、早く!」

そう言うや否や、発車ベルが鳴る駅のホームを駆け抜けていく。慌てて追いかけるが、時刻はもう21時を過ぎていた。親公認のカップルとはいえ、あんまり遅くなるとマズイだろ。そんな心配をよそに、タマキは駅の改札を出てしまった。

「イェ~イ!」
「どこ、ここ?」
「ここね、私が卒業した中学があるの」

見渡せば、駅前の小さな商店街のシャッターは全部閉まっている。遠くに、赤ちょうちんらしき店がポツンと見えた。

「こっちだよ」

そう言って坂道を駆け上がる。ほどなく見えて来たのは、割と立派な校門だった。

「だりぃ~。それで、プールってどこ?」
「えへへ、それはね……」

手招きされて学校の裏手に回る。小さな影がきょろきょろと辺りを見回しブロック塀をひょいと乗り越えた。

「おい、タマキ。ヤバいって!」
「もう、根性なし。早く来なさいよ」
「どうなっても知らないぞ」

急かされるようにブロック塀を駆けあがる。意外と高さがあって、着地した瞬間「うへぇ」と声が出た。すぐそばでケラケラと笑い声がする。


♦♦♦♦♦


校舎の影に隠れて進むと、ほどなく金網の向こうにそれが見えて来た。タマキは満足そうな顔でくるりと振り返る。

「じゃ~ん。到着!」

25mプールかな。薄暗い中、長方形の水場が浮かび上がる。わずかに、水色の壁が見えた。

「よいしゃ~!」

ガシャンという音と共にタマキが金網に足を掛け、あっと言う間に向こうへ降りていった。さっきも思ったが、なんとまあ大胆な。でも、思わずからかいたくなる。

「おや、ここは動物園かな? 金網の向こうに猿がいる」
「うき~! って違うわよ。それにヒドイ! これでも元体操部だから」
「ゴメン、ゴメン」

苦労して金網を乗り越えると、いつの間にかタマキは座って携帯を見ていた。風が水面を揺らし、チャプチャプという音が耳をくすぐる。気のせいか少し涼しい。

「なあ、タマキ?」

どのくらい時間が経ったのか? そろそろ帰ろうか、と声を掛けようとして言葉を飲み込んだ。隣に、真剣な顔で揺れる水面を見つめるタマキがいた。

「私、大人になりたくないなぁ……」

消え入るような声が聞こえる。

ピーターパンかよ。

そうツッコミたい気持ちを抑える分別はある。でもこういう時、何と声をかけたらいいのか。返事のしようがなく、ただ無言で波打つ水面を見つめる。

ふと、さっき自分たちの横から割り込で電車に乗った大人を思い出す。みんな、嫌でも大人になっていく。そして、自分たちも気付かないうちにあんな大人になってしまうのだろうか。

そんな静けさを破る携帯の着信音。

「あ、お母さん。……うん、まだよ。これから帰るとこ。……え? だって電車激混み。乗れないから……」

タマキのお母さんが心配して電話をかけて来たらしい。思わずホッとした。
でもこれは、帰ったら小言の一つや二つくらい覚悟しないと。

「帰ろっか?」

タマキがケロッとした顔で金網をよじ登る。

「ちょ、待てよ」

誰もいないプールに取り残され、急に怖くなった。先程まで涼しいと感じていた風がぷっつりと止み、奇妙な静けさが辺りに広がる。プールから得体のしれないものが手を伸ばし、足を引っ張るんじゃないか? そんな妄想を打ち消すように、急いで金網をよじ登った。

その後は何事もなく家に帰れたが、両方の親からしっかり怒られたのは誤算だった。タマキ曰く、親にとって子供はいつまでも子供なのだそうだ。でも、それも随分と昔の話。


「へえ、おじいちゃんとおばあちゃんってそんなことしてたの?」
「そうねえ、若気の至りかしら。ほほほ」
「ねえ、お母さん。その話って初めて聞いたかも」

ここは、とある料理屋の一室。タマキお婆さんが、子供達や孫に囲まれ和気あいあいと食事をしている。それを、陰膳を供えられたヨッシー爺さんの写真がニコニコ顔で見守っていた。

(終わり)

花風さんの俳句を参考に、ショートショートを作ってみました。
最後までお読みいただきありがとうございます💖

底までも冥き夜中のプールかな

花風さん、旬杯俳句より


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?