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古代への旅

「これ、そこのアンタ」
「はい?」
「何を迷っておる、こっちに来なさい」

藍那古道の分かれ道で丹生山へ到る道を進むべきか迷っていると反対側の坂道の方が気になる。別に声が聞こえた訳じゃないけど、仕方なく20mほど曲がりくねった急な坂を上る。それだけで息が切れた💨

ちなみに、藍那古道は源氏と平氏の戦いで源義経が一の谷に向かう時に通った道だという説が。(諸説あります😅)

坂の頂上右手には参道と石作りの鳥居があり、その奥に小さな神社。名も知らぬまま参拝する。後で確認すると藍那天津彦根あいなあまつひこね神社という場所だった。

藍那天津彦根あいなあまつひこね神社の御祭神のアマツヒコネノミコトは、アマテラスとスサノオが誓約うけいをした際、アマテラスの玉から生まれたとされる。誓約うけいとは卜占の一種。(wiki調べ)

天津彦根命あまつひこねのみことは二人の子がいて、製鉄神の天目一箇神あまのまひとつのかみと渡来神アメノヒボコの妻となった比売許曽命ひめこそのみこと

天目一箇神あまのまひとつのかみは、播磨国風土記に土地の女神(道主日女命みちぬしひめのみこと)が父のわからない子を産んだが、子供に誰が父親か誓酒うけいざけをさせたところ天目一命についだことから父であるとわかったという話。この神話は農耕民(兵庫県西脇市辺り)と製銅者集団の融合を表していると考えられているとか。(wiki調べ)

ちなみに、目一箇まひとつは片目の意味で鍛冶で片目をつぶって温度を見る(或いは高温の火を見続けたため目を患う)ことから来てるとか。

なお、ここに来る前、天一神社(神戸市西区押部谷)にお参りしていた😅

天一神社、主祭神は事八十神コトヤソガミでスサノオとイナダ姫の子。(wiki調べ)当時の地域支配者であった忍海部氏一族が、宝徳元年(1449)11月13日に創建したと伝えられている。兵庫県神社庁HPより


話は変わって5世紀頃の話、後の雄略天皇に父(市辺押磐皇子)を近江で殺された二人の皇子弘計ヲケ(23代顕宗天皇)と億計オケ(24代仁賢天皇)が、丹波や美嚢(三木市志染)を転々とし身分を隠し在地豪族の細目屋敷で働いていた。

それが最後に訪れた神戸市西区にある小幡若宮神社(忍海部造細目屋敷跡)

建物自体は新しい。祀られたのは江戸時代
小幡若宮神社の横に説明書き。二人を祀った顕宗仁賢神社が別にある。

雄略天皇の後を継いだ清寧天皇には子がなく、継承者を探していると無事二人が発見され兄弟で天皇になった、という。(播磨国風土記より)

日本書紀には、奈良の葛城地方忍海に半島から連れてきた渡来人集団を住まわせその中に製鉄に携わる人たちがいたと書かれてる。押部も忍海の字を当て葛城地方にゆかりがあるというのが地元の説😅

確か皇子の母親や叔母さん?も葛城系のはず。(wiki調べ)

なお、近くの雄岡おっこう山、雌岡めっこう山にはこんな言い伝えが。男神と女神の山造りで、男神の方が芯にした鉄棒が折れてしまい、折れた鉄棒が落ちた場所に水が溜まって金棒池と呼ぶようになった、と。
(兵庫県立歴史博物館 ひょうご伝説紀行より)

男神と女神の山造り よく似た山はどちらが高い | 兵庫県立歴史博物館:兵庫県教育委員会 (hyogo.lg.jp)

鉄棒や金棒という言葉が出て来るので製鉄を試したらしいけど、折れたということはうまくいかなかったのかな❓

いずれにしても、古代の播磨国は、出雲系、渡来系、そしてヤマト王朝が入り乱れる場所。複雑で面白い😊

さて、お参りを終え帰ろうかと小幡若宮神社を背にした瞬間、ふと花の香りが漂った気がした。そこで一句。

見送りはそっと背を押す沈丁花じんちょうげ

沈丁花じんちょうげに含まれる「リナロール」という成分は、鎮静作用、抗不安作用、抗菌作用、抗ウイルス作用などの効能があります。人の気分を和らげ、精神的に疲れた際に気持ちを落ち着かせるという効果があります。

Green Snapより

なお、二番目にお参りした藍那天津彦根あいなあまつひこね神社は旧名を八王子とい、当時は、天津彦根命あまつひこねのみことのほか7神が祀られていたと。その中に、田心姫たごりひめ命、湍津姫たぎつひめ命、市杵島姫いちきしまひめ命という、宗像の三女神もあったらしい。

この宗像三女神もアマテラスとスサノオの誓約うけいで生まれ、航海の安全や交通安全を祈願する神様だとか(兵庫県神社庁HPより)

最後までお読みいただきありがとうございました🌼

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