阿波野巧也さんの歌集読みながら考えています(その1)

 阿波野巧也という歌人がいて、かなり好きで、第一歌集『ビギナーズラック』のほかには、文学フリマに行った時に買った『半券』所収の連作も読んだ。あとツイッターもフォローしてる。お酒がお好きみたいです。いやべつにこれはファンですアピールではないです(ファンなんだけどさ、べつにすっごい追っかけてるわけではない)。

 けっこう前に『ビギナーズラック』は読み終えてるんだけど、あんま一首一首を詳細に読み込んでなかったから、ちょっと今回は考えながら読んでみようってことでじっくり読んでいます。
 阿波野巧也さんの短歌って、話し言葉で書かれているのと、日常~って感じがして好き。違和感なく、すっ……て入ってくる。でもよく読むと内容も構造もめちゃめちゃ考えられててコワ~ってなった(コワ~ってなったの……?)

 じゃあ作品を引用しつつ、感動したことについて書いていきますね。
 誤読はあると思うけど5億円あげるから許してね!

 本記事で引用する短歌の出典はすべて、阿波野巧也『ビギナーズラック』です。


ワールドイズファイン、センキュー膜っぽい空気をゆけば休診日かよ

『ビギナーズラック』の一発目の作品。なんか陽気な印象を受けました。World is fine!!! Thank you!!! ハッハー!!!みたいな、まずそこがぱっと見おもしろいなって思ったけど、でもそれって、Worldがfineだってことしか言ってない。I'm fine, thank youではない。膜っぽい空気、休診日。たぶんこの主人公、体調悪いんだな……。それも、まだ全然動けるけどこのままだとやばいかも程度の体調不良。とはいえ余裕があるので、いやはや僕と違って世界はfineだねぇ~センキュー、みたいな感じだ。
 ところでこんな一首もある。歌集の後の方(だったかな? 今回読み返した範囲にはなかったです)に出てくるやつ。

フードコートはほぼ家族連れ、この中の誰かが罪人でもかまわない

 この短歌、『ビギナーズラック』の帯にも書いてあってめちゃめちゃ好きなんだよな……。たくさんの家族連れがわいわいと喋って食事をする、賑やかで、幸せな空間。このなかの誰かが、過去に窃盗をしたかもしれない。あるいは未来に、人を殺すかもしれない。だけど、かまわない。だっていまは関係がないのだから。罪人でも、裁かれるべき瞬間以外は、家族とのひとときを楽しく過ごしたっていいはずだ。まあ、それに、そもそも他人ばかりだから、ぼくは関知しない。そういう意味だと受け取っています。人をほどほどに肯定し、社会をめちゃめちゃ肯定している短歌だと思う。
 で、ワールドイズファイン、センキューもそうなんだけど、世界を肯定してるなあ……ってのを思う。なんかこう、自分とか、人とかよりも、世界を。その世界に人や自分はまあ含まれてはいるんだろうけど、大枠としての世界自体に、いいねをしたいみたいな感じを受ける。

身分証がなくて追い出される僕とそこに残るボウリングのピン

街だって自然だし造花だって咲いてるよ。 どうしてぼくだけがぼくなのだろう

それでも町は生きものだからいい ぼくの自転車がない でも、だからいい

モノレールが夜景をひらく この町と知らない町の緩い連続

ぼくにはぼくがまだ足りなくてターミナル駅に色とりどりの電飾

 どうしてぼくだけがぼくなのだろう。世界はこんなにも自然で違和感がないままそこにあるのに。どうして僕は身分証がないだけでそこにいられないのだろう。ぼくだけがすこし、足りていない感じがする。でもだからこそ、くっきりと形を成している町が好きだ。そういう短歌たちなのかなあ~と受け取りました、おれはね。


 いったんここまでにします!!!!!!長いとあなたも疲れちゃいますもんね。またこんど阿波野巧也さんの短歌について書くやつその2が出ると思いますので気が向いたら読んでくださいね。おわりです(人生が)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?