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過食症の男性が死ぬまでのお話 ザ・ホエール【映画感想文】


あらすじ

ボーイフレンドのアランを亡くして以来、現実逃避から過食状態になり健康を害してしまった40代の男チャーリー。アランの妹・看護師のリズの助けを受けながら、オンライン授業でエッセイを教える講師として生計を立てているが心不全の症状が悪化し、命の危険が及んでも病院に行くことを拒否し続けている。しかし、自分の死期がまもなくだと悟った彼は、8年前、アランと暮らすため家庭を捨てて以来別れたままだった娘エリーに再び会おうと決意。彼女との絆を取り戻そうと試みるが、エリーは学校生活や家庭に多くの問題を抱えていた‥‥。

Filmarks

キッカケ

この動画予告ラストの「僕は信じたいんだ 人生でたった一度だけ正しいことをしたと!」という台詞と演技にめちゃくちゃヒキがあった。このシーンに至るまでの過程を観たくて観にいった。

感想

めちゃくちゃに刺さった。キッカケに書いた台詞に至るまでの主人公であるチャーリー含む登場人物達の描き方は見事としか言い様がない。
物語はチャーリーの部屋でのみ進んでいくのだが、登場するキャラクター達の人生が、歩んできた道筋が、その有様が映像で映し出されたと錯覚するほど濃密な造形を感じさせられて、観終わった後に劇場に貼ってあった海外メディアの翻訳記事に「物語はチャーリーの部屋でのみ進んでいく」ことが書かれており、そこでそういえばそうだったな…と気づいたほどであった。

まず冒頭、肥満により死にかけたチャーリーがたまたま訪問したカルト宗教の勧誘の青年に手持ちのエッセイを読んでもらい、息を吹き返す。そのシーンでもうくらってしまった。

死の間際に聞きたいエッセイがある、ということ。
なぜそこまで太ってしまったのか。
どうやって生活しているのか。
そのエッセイを書いたのは誰なのか。
エッセイの内容はどうリンクしてくるのか。
なぜチャーリーは「良い」と感じたのか。
青年はそんなチャーリーに何を思うのか。

物語の提示の仕方が良すぎるだろ……。

ていうかエッセイて!物語そのものではなく、聖書とかでもなく、詩とかでもなく、エッセイ!そりゃ私も感想は書くしエッセイも読む。好きだよ。誰かが何かを観て、それに何を思ったか書いた文章。評論ではなく、ありのままの自分の気持ち。それを死の間際に聞く!?そっちなの!?そんなことが……ゆ、許されるの……?文章にはそこまでの力が持てるの……?なぜ、どうして……。チャーリー、そんな、繊細な心の持ち主である君が、どうしてそこまで太ってしまったの、なにに絶望してしまったの……。

これは完全に心を掴まれたなと観ていて感じた。

物語には様々な登場人物達が登場する、主人公である肥満のチャーリー、友人で看護師のリズ、カルト宗教の青年トーマス、娘のエリー、元妻メアリー、宅配便の青年やオンライン授業の生徒達、そして亡くなってしまった元恋人であるアラン。

それぞれの愛の話であり、救いの話であり、贖罪の話であり、人生の話だった。

登場する誰もが自らの望みを具体化せず、自らの望みのために行動できていると信じているが行動できておらず、悔やんでいる。
不貞、犯罪、育児放棄、逃避、信仰。
そして依存している。
罪、過去、食べ物、介護、酒、大麻。

生きてきた以上ナニカを抱えて生きていて、そのナニカがどんな形をしていて、どんな手触りで、どれくらいの温度で、どんな重さで、いつのまに抱えていたのかわからず、それでも生きていると確実に、ナニカを抱えている。

それらが決して悪いわけでは無い。自然とそうなってしまった人たちがいる。それだけの話だ。そしてそれだけの話の中身は何十年分もあるし、それぞれがこの世の中でたった一つだけのものだ。

映画を観ていて印象的だったのはチャーリーと友人であり看護師のリズとの関係である。亡くなってしまった恋人の妹であるリズ。二人は友人関係である。恋愛感情はなく、お互いに親愛の気持ちがあり、多少ブラックなジョークでもそのユーモアを笑い合える関係だ。太ってしまったチャーリーの生活は看護師であるリズによって支えられている。しかしそのチャーリーの不健康そのものと言える食事をリズは止めない。それどころか提供さえしている。それは拒食により亡くなってしまった兄の死について暗にチャーリーを攻め立てているようでもある。
チャーリーも作中から読み取れる限りストレス性の過食症ではあるのだが、拒食状態であったアランへのトラウマと贖罪の気持ちと、おそらくリズの気持ちをわかっていて提供される食事を拒否しない。

過食である、その一言の背景にはそれぞれの長い長い話があるのだ。

食べても何も進展せず誰も救済されはしない、そんなことはわかっているが強いストレスの吐口は食事へと向かう。そしてその結果を受け入れることで贖おうとしている。その死が何も意味などないこともわかっている。傷ついた男が一人、心的外傷による過食によって肥満で死亡した。それだけの出来事にしかならないことはわかっている。それでも、そうなってしまったとしても、そこに至るまでに生きてきた人生が男にはあり、そこに後悔や罪悪感が多分に含まれていたとしても自分の行いを真にやらなければ良かったと断じて捨てることはできず、その行いも確かに自分自身で、それでもそれに巻き込まれてしまった人々と何よりも自分の身を分けた娘にだけは何かを残してあげたくて、愛していると伝えたくて、貴方のことをこの世でたった一人だけでも世界で一番素晴らしいと信じて疑わない存在がいることを伝えたくて、それがわがままで傲慢な行いだとわかってはいても

「僕は信じたいんだ 人生でたった一度だけ正しいことをしたと!」

人は生きていかねばならず、一人で歩み続けるには人生は辛く、他者を求める。それは愛なのか、救いなのか、人間の本能なのか。
あるいは信仰、それは理性なのか、誤魔化しなのか、依存なのか、習慣なのか、呪いなのか。
死は近く、死は遠く、後悔は深く、他者を信じる行為は尊く、未来を願う姿は美しく、思いは言葉にしきれず。

それでも意図せず人は影響し合う、良い行いが良い影響を与えるとも限らないし、悪い行いが悪い影響を与えるとも限らない、そうなるとそもそも良いとは?悪いとは?醜さとは、美しさとは……。ほげほげ……そんなことを延々と考えられてしまう。考えさせてくれる。ザ・ホエールは、とても良い映画だった。

蛇足

① 感想をようやく書けたので劇場で思わず買ったパンフレットをようやく読める。嬉しい。監督や俳優達へのインタビューがしっかりめに載っているようだったので楽しみだ。
② 映画館で映画を観る時、映像や音楽が派手よりで家庭の設備では味わえないものを選ぶことが多かったのだが、ザ・ホエールのように静かな映画の場合の圧倒的没入感もまた映画館の良さだ、という大きな気づきを今回で得た。やっぱり映画館はいいな!!!!!!!

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