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自らの神に向き合うは才能か人格か、それとも TAR 【映画感想文】



あらすじ

世界最高峰のオーケストラの一つであるドイツのベルリン・フィルで、女性として初めて首席指揮者に任命されたリディア・ター。彼女は天才的な能力とそれを上回る努力、類稀なるプロデュース力で、自身を輝けるブランドとして作り上げることに成功する。今や作曲家としても、圧倒的な地位を手にしたターだったが、マーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。そんな時、かつてターが指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは、追いつめられていく──

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感想

これは良い意味なのだが、あまりにも胸がいっぱいになってしまい終盤は苦しさすら感じた。間違いなく私が観てきた映画の中でも上位の作品であったと思う。ただこの感情を面白いと表現はできず、感情を適切に言葉にする語彙を私はまだ持てていない。

毎度のことだがネタバレを含むので未見の方は気をつけて頂きたい。こんなネットの片隅にある小人のネタバレ感想を読んで体験を損ねてしまうくらいならば、一抹の興味だったとしても劇場に足を向けて視聴体験を高めてほしいと心から願う。

というかプロの物書きと違って核心を書かずに物語の感想を書けるほど私の文章力は上等ではないのでごめんねって感じだ。観た人向けでしかない。でも書きたい。

という訳で早速書いてしまうのだが、描写や演出から素直に受け取るならば、ターによるおそらく性的な誘いを断った若手指揮者がターによる根回しでオーケストラ界隈から爪弾きにされてしまい、絶望して自殺する。それをその若手指揮者の両親によって告発されてターは完全に失脚する。おそらく情報提供はターの秘書をしていたフランチェスカである。失脚したターはそれまでの輝かしい舞台とはかけ離れた場所で、全てを失ってもなおこれからも指揮者として生きていく。

という物語なのだが……これは1ミリもこの映画を表現できていない。物語をどう見るかでキャラクターへの感想が180度変わりそうで観ていてすごく、難しかった。ただ胸に募る思いをどうしたものか困惑した。

まず、ターは紛れも無い天才である。圧倒的な知識とセンスからくるエスプリは芸術に精通した者が持つ教養の高さと積み重ねた時間を自然に表現しているし、努力を努力とすら思わず、音楽に身を捧げるものが行う当然の義務として、己を強く律し、指揮者として、ただ音楽を愛するものとして、常に学び続けていることが容易く想像できる。古典から民族音楽、現代曲はもちろんネット上で若者にウケている音楽、主義思想が違ったとしても、その主義思想すら学ぶことでより深く作曲者が一音に込めた想いを汲み取る。指揮者たる自分がそれを行うことは当然であると思いながら、そうではないもの、音楽の勉強を怠り自己の表現を突き詰めない同業者や学生に対しても一定の敬意を持ち合わせた人付き合いをするし、内面でどう思っていたとしても、外面を正しく高潔に見せようと心掛けている。

ただ一方で、女性関係がだらしなくはある。悪く言ってしまうなら好みの演奏者のことを自分の立場を利用して、贔屓しているように”見える”し、明確な示唆はないが過去に肉体的な行為が行われていたであろうという描写はされている。ターは同性の妻がいる身だが、浮気性だったようだ。

ただ、それが本当にターが持つ音楽的センスを逸脱してまで贔屓していたのかというと難しい。ターの妻でソリストでもあるシャロンも、秘書をやっていたフランチェスカも、自殺をした若手指揮者のクリスタも、中盤以降登場するターが加入オーディションで贔屓したように見えたチェロを弾くオルガも、みな才能に満ち溢れていた。ターはただキッカケを与えただけに過ぎないのかもしれない。そしてそのキッカケはやや恣意的であったのかもしれない。ターが持つ感性がファンションや靴音、姿勢や立ち振る舞いに対して良しと判断をつけたのかもしれない。

オルガがチェロのソロパートを任される曲のオーディションを受けた際も、その曲はオルガとターがランチをした際にオルガから聞いたオルガの得意曲だった。しかしランチでの会話上ターはオルガと気が合っているようには見えなかったしオルガもターに媚びている訳ではなかった。結果的に練習期間の短さからかオルガが他の団員との競争に勝ち、ソロの権利を獲得するのだが、あくまでオーディションでは満場一致でオルガが選ばれた。オルガに有利な舞台ではあったが、たしかにその曲において次の講演でより良い演奏を出来るのは誰かと言えばオルガだったし、つまりはそうなるくらいにはオルガには才能がたしかにありターは人格を抜きにしてそれを見出した。

またターは持てる者の苦悩として過剰に音に敏感だった。ターにとって夜は安らかさとはかけ離れた場所にあった。誰かが止め忘れたメトロノームに睡眠を妨害される。寝室から遠く離れた冷蔵庫の振動音が気になってしまい目覚める。世界中の誰よりも愛する娘に起こされ、寝かしつけなければならない。彼女が一人になれるようにと借りている部屋では隣の部屋の住民がつけているアラームが鳴り響き作曲に集中できない。公園を走っていても遠くから聞こえる誰かの叫び声を聞き取ってしまう。彼女の音楽的才能に比例して、耳が良すぎた。神から与えられた才能は、彼女の精神を確実に削り取っていた。

そしてターにはやや誇張癖というか、虚言癖があるようにも見えた。オーケストラでソロ曲を獲得したオルガを家まで送った際に、建物の地下に迷い込んだターはそこにハッキリと姿は見えなかったが聞こえてきた野犬の唸り声に怯え、走って逃げるのだが階段で転倒してしまい顔面を強打する。その出来事をオーケストラのメンバーには男に襲われた、と説明する。

彼女は完璧であることを求められた。迷って犬にビビって階段でコケたなんてドジエピソードは彼女には話すことができないのだ。妻が飲んでいる精神安定剤もあくまで妻が処方されてもらっているが、ター自身も飲んでいる。なんなら妻よりも常飲しているように見えた。ただターは善人であろうとしているわけではなかった。娘のためには非情になることもあったし、自身の目指す演奏についてこれないと判断したものには旧友であったとしても冷徹に判断を下した。彼女はあくまでも己の手で裁きを下した。

ターによるパワハラ、セクハラはたしかに真であったのかもしれない。しかし作中では”一方的であったか”は真であったとは明言しない。ターは音楽に対して誰よりも、神に接するように真摯であった、しかし精神は消耗しており、大多数の人間がそうであるように真実のみを口にする訳ではなかった。

事実としては、クリスタは自殺した。
ターは各楽団にクリスタを加入させることを強く警告していた。
クリスタはフランチェスカに相談するメールを出していた。
自殺の報告を受けたターは各楽団に出していた警告メールを削除した。

しかしクリスタの言動が変であったとターがフランチェスカに話していた時、フランチェスカは否定していただろうか?
フランチェスカはターに副指揮者に任命されていれば、行動を起こしていただろうか?
授業風景を編集され流されたように、ターの立場を明確に悪くしてやろうと考えるものが他にもいたのではないだろうか?

ターは明確にクリスタに対して謝罪の言葉を述べない。自らの行いを悔いて恥じるようなシーンがない。これを、どう受け取るかは完全に観客に任されている。ターの傲慢ととるのか、事実とは違うと取るのか。フランチェスカも蒸発した以上、事実はもうターにしかわからなく。そしてターの言動が信じられることは無い状況である。

そして全てを失い、失意の底にあった彼女は、自らが幼き頃に見ていたオーケストラのビデオを見て、救いを見出す。それは音楽そのものが彼女を救ったのでは無い。彼女が追い求め向き合い続けた、ただ一つの輝ける彼女自身の誇りが彼女を救ったのだ。

ラストシーン、いかなる場所であっても彼女は音楽に対して、神に接するように、真摯であり続ける。

本当に受け取るのが難しい作品である。現代の教育において、スパルタは好意的に受け止められない。しかし私のような凡人はどこかで、もしも芸術の真髄に迫るならば、心身を削り取るような行いをしなければならないのではないかという思いを否定できない。もちろんそれだけが素晴らしいことだと考えている訳では無い。自らが何を選択し、そのために必要なものはなにかという話だ。

そしてその中で磨き抜かれた才能。才能とはけっして持ち合わせているから楽ができるものではない。天才と呼ばれる人はそれが行える環境にいるという事実もあるが、大多数の人間より遥かに、それに懸けている時間が違う。その磨き抜かれた才能に対して人格が善いものしか許されないのか。正確に言うならば、世の中の大多数の人が認め、間違いとされる行為を犯さず、非難する箇所が一切ない人格でならなければならないのか。そして認められなかった人格が生んだ芸術は、人格と共に認めるべきではないのか。

これは、ずーっと続いている難しい問題だ。たぶん今の世の中的には認めない派閥の方が強いが、作品と人格は別派も結構いる。

認めない派閥も結構、自分が好きなものだったり、身内だったり、背景を知らない古いものだったりには甘いこともある。現実は0と1のどちらかではなくグラデーションがある。私もふいに聴いた曲がめちゃくちゃ良くて作曲者を確認したら少し前に炎上した人で、その時に湧き上がる葛藤をどうしたものかと考えたことがある。音楽家の人であっても、人格が優れていない人の音楽はいつのまにか耳障りが悪くなるとハッキリ言っている人もいる。

それらは別に個々の人間の行いなので私には何も言えない。でも自分で決めた方がいい。自分で考えて、恣意的に編集された情報に踊らされず、無駄に攻撃的にならず、自分の現在の価値観と照らし合わせて判断する。判断するだけだ。その結果で誰かを攻撃してはいけない。攻撃する誰かも現実を生きている、もしくは現実で生きていた一人の人間なのだ。人が人を裁かず法が人を裁く為のシステムは長年の歴史のもとで人自身が生み出してきた。自戒を込めて考えさせられた。

そんな自分の心の在り方も問われる。良い作品であった。

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