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【雑感想】VESPER、リズと青い鳥、グッドウィルハンティング、メアリと魔女の花、レ・ミゼラブル、パルプ・フィクション

記録用。ネタバレありなので注意。


VESPER

 ずっとずっと未来の話。動物は絶滅し人間の数も大幅に減少した。人間はシェルター内に暮らす特権階級の人々と、絶滅した動物のかわりに地上を支配する多様な植物たちが蔓延る地上で何とか日々を生き延びる人々で分かれていた。主人公のヴェスパーは戦争帰りで体が動かなくなった代わりにドローンで意思疎通を行う父親と二人で暮している。ある日、特権階級の人々の操る飛行船が森に落ちる。そこで美しい少女を助けるヴェスパー。二人の出会いは何をもたらすのか。

 思いかえすとそこまで嫌いじゃないのだが、観ていて湧いてくる疑問や期待を最後に全部放り投げられるので、あっれぇ~って感じで終わった。型落ちドローンで意思疎通を取る父親との二人暮らし、植物が地上を支配している荒廃した世界ってコンセプトは結構良くて、前半は結構物語に引き込まれる。ヴェスパーが管理している植物室も風の谷のナウシカの研究室みがあって、ヴェスパー頭良いんやな~これがどう繋がっていくんやとワクワクさせられた。だがヴェスパーの近くにある集落のボスが微妙で、子供の血は貴重だって話をしていたのにヴェスパーのことを手引きした少年を惨殺するし、執拗にヴェスパーを狙う理由もイマイチわからないし、追いかけて印をつけるだけのくだりはどういうこと??となってしまった。そのあとシェルターの兵士にぶっ殺されたときはスカッとはしたが、そのシェルターの兵士登場後は正直予算が尽きましたという感じでいきなりクオリティが落ちる。物語のストーリーライン的にもあの人造人間の技術が他シェルターに渡るのが駄目なのか、人造人間に隠された情報が駄目なのかシェルター側の思惑が説明されないし、結局人造人間は連れてかれて親父せっかく死んだのにな…ってなりながらヴェスパーだけ他シェルターを目指すがどうやって信用されるんだろうといったところで何か前半からやたら意味深だった存在の徘徊者の塔に登ってエンド。もはや逆に面白かった。

リズと青い鳥

 ユーフォニアム外伝な劇場作品。この映画のオリジナル吹奏楽曲、リズと青い鳥。穏やかだが孤独に暮すリズと青い鳥の少女の出会い、幸せな生活を捨て、少女を空へと帰すリズ。リズと少女。みぞれと希美。青春の時、少女たちは自らの殻に気付き、破り、羽ばたいていく。想いと願いに胸を締め付けながら。

 放映当時に強めの感想をチラ見しすぎて見る気が失せてしまっていたのだが、ようやく観た。ちゃんと普通に面白かった。めちゃめちゃ綺麗な青春映画だった。たしかにこれはユーフォニアムのタイトルをつけずに「リズと青い鳥」としたのが納得できる。単独で成立している。舞台は北宇治高校吹奏楽部ではあるのだが、物語はみぞれと希美。二人の心情に強い焦点があてられる。嫉妬ともとれるし羨望ともとれるし諦念ともとれるし情念ともとれるし未来への不安ともとれる。そんな思春期のハッキリと形にならない関係性と心情をリズと青い鳥の曲想に合わせて見事に作品として昇華させていると感じた。ユーフォニアムを見ていなくてこれだけ見てもちゃんと楽しめる作品だと思う。アニメを見ていた方がわかりやすくはあるかもしれないが、察せられるだけの過不足ない見事な演出が成されている。当時、百合だ百合だ俺たちは壁の中にいるんだって感じの感想があったが、出会いの経緯から依存性の強い関係ではあるかもしれないが、そこに百合のみを見出すのは勿体ないくらい青春映画である。もちろんそういったものも含めて広義的な百合が好きだというのは良いし、否定する気もない。あと現実はここまで綺麗に決着しないとかいう意見もわかるし、オタクが幻想を見すぎと言われても否定は別にしないけど、とりあえずこの作品は良いものだったので、普通に明日を悩む少女たちの青春映画として見て欲しいと思う。みぞれが本気でリズと青い鳥を吹くシーンはまさに飛び立つ青い鳥のようで胸が熱くなった。

グッドウィルハンティング

 解いた人は表彰される大学数学の授業の難問が廊下に張り出されていた。ある日、それがいつの間にか解かれているではないか。一体だれが?
解いたのは学校の清掃員をやっていた一人の青年。なぜそれほどの才能が清掃員をやっているのか。希代の天才が抱える心の闇とは。彼が彼自身の手で未来を掴みとれるようになるまでの再生の物語。

 目の前の巨大すぎる才能に打ちのめされる人っていう面だと最近だと「ダイヤモンドの功罪」なんかにも通じるし、愛を知らずに育った青年とメンターとの交流を描いた再生の物語でもあるし、能力が釣り合ってないことはわかっていながらもずっと一緒に馬鹿やってくれてた友人達との友情と別れでもあるし、最後は愛を掴みに行くし、すごい盛りだくさんな映画だった。かなり面白かった。もちろんメンターとの交流や彼女との心に来るやり取りも良かったのだが、個人的に一番良かったのは工事現場での親友との会話だ。主人公は才能を認められ、世界的な企業へと就職する道が開かれているが、一生ここで働いたって平気だぜと嘯く。それに対し親友が放つ言葉の数々「20年たってお前がここに住んでたら―――おれはお前をぶっ殺してやる」「お前は自分を許せても―――おれは許せない」「おれは50になって工事現場で働いててもいい。だがお前は宝くじの当たり券を持ってて―――それを現金化する度胸がないんだ。お前以外の皆はその券を欲しいと思ってる。それをムダにするなんておれは許せない」「おれはこう思ってる。毎日お前を迎えに行き―――酒を飲んでバカ話、それも楽しい。だが一番のスリルは、車を降りてお前んちの玄関に行く10秒間 ノックしてもお前は出て来ない。何の挨拶もなくお前は消えてる。そうなればいい」・・・・・・素晴らしい。
おいこいつ才能があり過ぎないか。本を書け。言い回しがカッコよすぎる。そしてラスト。すごく丁寧な作品作りで、ここをこうしますからね、覚えておいてくださいね?わかりますよね?と提示しておいて後々そのとおりになって出てくる。うーん、お見事。青年はもう自由に自分の人生を選び取っていくだろう。

メアリと魔女の花

 赤毛の癖ッ毛でドジな女の子、メアリ。両親より一足早く引っ越してきた田舎で祖母と女中さんと共に過ごしながらも、やや暇を持て余していた。ある日森の中で不思議な花を見つける。その花から溢れ出た不思議な力はメアリに魔法の力を与え、箒を飛ばし、雲の中にある魔法大学へとその身を運んだ。不思議な冒険を楽しむメアリだったがその能力が花の力であることがバレてしまう。その花は魔法大学の学長が長年追い求めてきたものだった。花の力を使い学長は何をするつもりなのか。人質に連れ去られたピーターを救い、メアリは無事に戻れるのか。

 先ごろに観た「屋根裏のラジャー」と同じスタジオポノックが作った劇場作品。少し鈍臭い女の子が不思議な冒険を通して世界の姿を一つ知り成長する。オーソドックスでありながら普遍的な面白さを持つ児童文学のエッセンスを感じる。この作品もまた原作を読みたくなる映画だった。
前半カゴに突っ込むメアリのシーンが過剰なギャグに見えたり、意味深な反応をしていた庭師が特に再登場がなかったり、終盤盛り上がるに合うほどのピーターとの繋がりがあるのかと感じてしまったり、魔法大学の学長と博士が魔法を世界に広げることで何を為そうとしているのか不明だったり、箒を大事にしろおじさんが執拗だったり、ところどころ演出が私には合わなかったなと感じるが、もっと幼いころに見ていれば素直に魔法世界に目を輝かせられていたと思う。こういうとアレだがキャラクターの絵柄から漂ってしまう「ジブリっぽさ」が無くなればアニメーションがもっと映えるのではないかと思ってしまった。引っ張られてしまう私が悪い部分もあるのだろうが。

レ・ミゼラブル

 パンを一つ盗んだ罪で19年間重労働の服役を課されたジャン・バルジャン。そしてその看守であるジャベール。仮釈放を受けたバルジャンはたまたま入った教会で施しを受けるもその教会で盗みを働いて逃げ出してしまう。警察に捕まり教会にて神父に盗まれた証言をさせようとする警察だったが神父はそれは彼にあげたものだと言う。許しを得て、汚れてしまった己を心から悔いるバルジャン。彼はその名を捨て正しく生きることを神に誓う。
それから長い時が経ち、市長マドレーヌとなったバルジャンだったがその街に赴任してきたのはあのジャベールであった。因縁の相手との再会がある中、娘を置いて出稼ぎにきていたフォンテーヌを間接的に自らが管理していた工場から追い出してしまう。フォンテーヌは絶望の中で身を売り、娘を想いながらも、その命が擦り切れていく。やがてその事実を知ったバルジャンは事切れたフォンテーヌを前にして後悔し、その娘のコゼットを救うことこそが神に与えられた使命として己の人生を捧げることを決意する。一方ジャベールはマドレーヌがあの仮釈放の身分から逃げ出したバルジャンであるならば絶対に逮捕してみせると情熱を新たにするのであった。

 あらすじが書ききれない。マリウスのくだりまで書いてたら長くなるのでこのあたりで。レ・ミゼラブルは長年名作ミュージカルとして存在と概要は知っていたのだが、完全に初見だったのもあったし、全編歌を通して物語が紡がれるタイプの映画ははじめてだったので、こういう作品だったのかと驚きつつ観た。ラッセル・クロウはグラディエーターの印象が強かったのでめっちゃ歌っててなおさらなんかビックリした。悔恨や許し、改心と功徳の感覚がキリスト教の下地を存分に感じるので、神の存在が身近にある人とそうでない人で受ける印象の重さは違うだろうなと感じた。私は現代の凡庸な日本人であるからして神の存在や使命感と言ったものを強く感じられたことは無いのだが、それに生きる人々の強い想いというものが力強く描かれており感動した。バルジャンの敬虔な態度も良いが、対象的に宿屋の夫婦の徹底した強かさもまた好ましいものではあった。実際のファンの動きは知らないがあの夫婦のファンは結構いるだろうな。その宿屋の夫婦の娘を結構都合よく使ったマリウスはどうなんとかジャベールがバルジャンは生きて功徳を積もうとしたことに比べてキリスト教的にアウトな自死を選んでしまったところとか悪者にされすぎる面もあってどうなんとか思うところもある。これは文句ではなく、それぞれが完璧な善人ではなく、自分が善しとするものに殉じようとしたにすぎず単純な善悪で語るものではないという作者の人間への洞察と慈愛をそこかしらに見受けられるという点で褒められる箇所である。いや今更私が褒めなくても長年世界的に褒められてますけどね。書いてて思ったがマリウスはともかくジャベールの自死は創作のなかでとはいえ何故自死をしたのか、その自死は許されざるべきものなのかと議論する土台になっただろうなと想像に難くないので、如何に創作の場が自由な議論の土台になっているのかを実感できるシーンであるのかもしれない。

パルプ・フィクション

 ファミレスで強盗を企てるカップル。二人の殺し屋。八百長をけしかけられたボクサー。ボクサーの恋人。マフィアのボス。ヤク漬けの若い嫁。死体掃除が生業の紳士なジジイ。ゲイでファックしてから殺す最悪の殺人鬼が二人。こいつらの話が絡んだり絡まなかったりしてみんなやりたいことをやる。

 あらすじ難しすぎ問題。順番に書いても頓珍漢になる気がする。すごいな。主観もあっちこっちいくし別に誰かが正義でもないし大きな主題があるけでもない。強いて言うならラストシーンなのかとも思うが、最初にパルプ・フィクション=安っぽい創作の説明を映画自身がするようにこれはとってつけたように訓辞を示しただけのエンドですよと明示しているように見える。だが私はこの映画自体はかなり好きだ。序盤の強盗カップルの会話、窓からさす光、聖書を暗唱しながら調子に乗ってしまったガキ共を撃ち殺す殺し屋、マフィアのボスの嫁と部下とのダンスシーン、家に帰って曲をかけて薬をキメてぶっ倒れるシーン、ボクサーとタクシー運転手のシーン、大事な時計を忘れてしまってからの一連のくだり、マフィアのボスと謎の殺人鬼二人に一緒に捕まってからの唐突な刀の出番、うっかり車の中で撃ち殺した死体を連れ込んだ家でのやり取りと掃除人のシーン、そしてラストシーン、あっちこっちが良い。僕が思う良さだけを詰め込んで一つの映画にしましたって感じの映画だ。そしてそれだけで花丸をあげられると思う。クエンティン・タランティーノ監督は正直キルビルのとにかくスプラッタ!なノリがやや苦手だったのであまり得意な印象はなかったのだがこの映画は良い。かなり好きだった。群像劇的な面白さもありつつテンポと演出と台詞回しがとにかく印象に残る。

観たいものも読みたいものも尽きないのでサポートいただければとても助かります。