読書感想文『蛇を踏む』川上 弘美著

■タイトル
蛇を踏む
■著者
川上 弘美
■備考
第115回芥川賞受賞作

『蛇を踏む』を読了。読むのが苦痛な小説だった。

本作の芥川賞の受賞時には選考委員に石原慎太郎が参加している。「私には全く評価出来ない。蛇がいったい何のメタファなのかさっぱりわからない。」「こんな代物が歴史ある文学賞を受けてしまうというところにも、今日の日本文学の衰弱がうかがえるとしかいいようがない。」というのが彼の評言である。

僕も最初の30ページくらいまでは同じ感想を抱いていた。理解をしようとすればするほど意味がわからない展開が続き、途中で何度も「なんだこれ」と言って思わず本をぶん投げそうになった。そうして振り回されていくうちに本作にはメタファの気配すらないことに気づく。著者は自分の小説のことを「うそばなし」と呼んでいる。深読みしようとするから苛立ちが募るのだ。ただの嘘なんかにメタファもクソもない。目を瞑りながら水面をたゆたうように身体感覚で嘘を感じる作品なのだと愉しみ方を変えた。それでも収録されている3編のうちの序盤2編の表題作と『消える』は何度も挫折しかけた。

最後の1編である『惜夜記』だけは不快感を抱かず比較的読めた。夢みたいな展開が続く内容であり、表題に付く夜という単語も相俟ってまるで自分の知らないどこかの夜ではこのように一見突拍子もない、だけど物質性などを気にせず流動的に移り変わる物語たちが繰り広げられているのではないかという錯覚を起これた。『惜夜記』があったから、本作が受賞されるに至った理由を納得は一切していないが理解はできた。

では『惜夜記』と他2編は一体何が違うのだろうか。もちろん『惜夜記』は特別先の石原氏の主張するメタファを見出せるような内容ではない。

思うに、地続きかどうかの問題ではないだろうか。『蛇を踏む』に関しては出勤前に公園で蛇を踏むことから始まる。『消える』に関しては始まりこそ普通ではないが、団地に住む家族が主軸となっている。どちらとも現実的な要素を含んでいるのだが、途中で何度も訳のわからない展開が挟まれる。現実っぽさと訳のわからなさが交互に来るせいで、上手く乗れないのだ。たゆたおうとしているのに突如足を引っ張られて溺れさせられ、かと思えば手を離される。息継ぎをしてひと段落したところで、もう一度たゆたおうとしたらまた…というのを繰り返されるのは最早拷問と言っていいだろう。

『惜夜記』はそういう点終始現実的な要素が見当たらず、それがむしろ幻想という感覚となって、たゆたいに支障を来さずに居続けられるのだ。当然内容は訳がわからないことが多いが、明晰夢のように自覚することでその世界観そのものが前提となって楽しむことができる。

物語の単位が編であるように、小説は紡がれるものであり、時に結んだり重なったりすることで繋がりがいるのだ。本作の現実と幻想の行き交いには、それを感じない。繋がっていないものは、そこらのぶっとんだ素人が書いた妄想日記の類と変わらない。

現実と幻想が入り混じる作品すべてが、繋がっていないに分類されるということを言いたいわけではない。むしろそれでも繋がっている素晴らしい作品はたくさんある。本作に対して一番主張したいのは繋がっていないと感じさせてしまう描写力だ。本作は現実と幻想の境目なんかを意識させて苦痛に感じさせてしまうような描写力の作品なのだ。

メタファがないということは、テーマ性がないということだ。僕はあらゆる作品にテーマ性があるのは当然のことだと思っている。作品を食らったあと、ひっそりと自分の数多くある細胞の一つとなり、長い人生の構成要素となるものこそが作品である。仮にそうでない作品があるとすれば、それは圧倒的な表現力のみで構成されている場合だ。テーマなんかどうでもいい。お前の細胞になんかならなくたっていい。兎に角作品が持つ世界だけに没入しろと言わんばかりの表現力の暴力だけが、唯一許される。

従ってテーマ性を捨てている本作に求められるのは、地続きに現実を走っている中でいつのまにか体が浮き始め、足を踏みしめる感覚を伴ったまま空中を走り、一駆けする度にゆっくりと上昇し、繰り返すうちに雲の上にまで到達して、ハッとしたときにはまばゆい陽の美しさに照らされて涙を流しながら走っていることに気づくかのような滑らかな描写力しかないのだ。なんかまた訳のわからない展開が始まったよ。どういうことなのか想像してみないとえーとうーんと…とえっちらほっちらさせられるくらい幻想との境界が目に見えてしまうようでは駄目なのである。

そもそもこのような感想を抱かせ、作品とは何たるかを考えさせることそのものが、本作のテーマなのだとしたら僕の定義的に本作は作品足り得るのか。いいや足り得ない。そんなメタ的に構成された意地の悪いものは便所裏の落書きでも同じことができる。小説の顔をしてやることではない。とどのつまり本作は妄想日記である。以上。

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