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何度生まれ変わっても。


「鬼滅の刃 遊郭編」最終話の「何度生まれ変わっても」という題名に含意された美しさ––––。


「何度生まれ変わってもお兄ちゃんの妹になる」


 というふうに帰結するわけだが、そう素直に言えた(気付けた)堕姫だきと受け入れた妓夫太郎ぎゅうたろう––––享受し合えた最期のふたりは束の間、幸せに浸れたに違いない。


 あれはおそらく三途の川とやらを渡る手前で、まさに魂が昇華された瞬間だろう。


「何度生まれ変わっても」––––何かしらの対象に対して、それほどの強い思いを現世で持ち合わせている人間がどれくらいいるだろうか。


 かくいう私は身近で言えば、母の日だからというわけではないが、何度生まれ変わっても母の子でありたいとは思う。


 私は生まれ変わりという概念には浪漫を感じており、神道の「人は死して神になる」という考え方から神社が創建される事や、仏教の輪廻転生は宗教の概念の中で最も救いのある教義だと思う。

 厳密に言えば仏教では二度と再生しない解脱を最高の理想とし、何度も生まれ変わる輪廻は苦とされるが、私は何度も再生する生まれ変わりにはどうしても浪漫を感じてしまう。


 それはやはり「生まれ変わったら」という言葉には他ならぬ希望をこいねがう祈りが込められているだからだろう。


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