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心に余裕を持つために

皆さまご機嫌いかがでしょうか。ヨガインストラクターで日本茶アドバイザーの まるやま ゆみ です。今回は、前回の続き。ご紹介したヨーガスートラの一節から思い付いたことを書き連ねていきたいと思います。

前回も『心の動きを止滅させる』=『感情をなくす』という意味だと勘違いしていたことを少し書きました。
実際には『いつでもなるべくフラットな視点をキープしよう』ということです。それこそのんきにヨガの勉強などしている平穏な日常生活の中では、何となく理解できて、できそうな気がします。

しかし、日常生活が脅かされたとたん、そうはいかなくなることを私は思い知らされたのです。
そう、今も続く昨年からのコロナの脅威。去年の今頃、私たちは日常とか普通とか常識というものを全く破壊され、生活は本当に混沌としました。仕事もキャンセルになり、モノが思ったように買えなくなり、人と会う時間が減り、人々を分断する壁だけが増えていきました。
そうなると、心なんて動きっぱなしです。フラットで中立的なモノの見方なんてできません。(政治家のあんな姿を見せられたら当然だと思っていますが)そもそも精神面が脆弱なところに揺さぶりをかけられまくった結果、見事耐え切れず相当に落ち込みました。今、落ち着いてきたとは言え、気分は比較的下の方です。上がれないくらい下がったともいえます。
私の周囲にいるヨガインストラクターは、私の知る限り一様に落ち込んでいました。類が友を呼んでいただけかもしれませんが、ヨガの指導など世の中で上位に位置する不要不急な仕事で、真っ先に切られたからです。

あれから一年経って思うことは「余裕があったらあんなに落ちなくても済んだかもしれない」ということです。
経済面でも精神面でも余裕があれば、冷静でいられただろうと思うようになりました。
ヨガの先生は良く言います。「ヨガマットの外でもヨガを実践しましょう。」つまり、ヨーガスートラの教えに基づいた生活をしましょうという話です。他のヨガの先生は冷静に暮らせたのでしょうか。

私のヨガの先生も生徒が減ったことで一時落ち込んだそうです。私の目にはそんな風に見えていなかったので、昨年末それを聞いた時心の底から驚きました。
確かに生徒数は激減しました。一見さんに加えて常連の方も姿を消しました。私が出ているクラスだと三分の一程度に減った感じです。それでも通っている三分の一いる生徒の為に、その場でリクエストを聞いてヨガをやろう、先生はすぐに気持ちを切り替えたと教えてくれました。それ以前は生徒が多すぎてリクエストなんて聞いている余裕も無かったでしょうし、なにより構成を臨機応変に変えられるタイプの流派でもありません。
落ち込んだ心をなるべく早い時間で平常時に戻すことが出来る人の思考方法というのはこういうものなのか、と改めて感動したのです。
この節で述べられているのは、なにも落ち込んだ気持ちだけではありません。テンションが上がって調子に乗りすぎて失敗した経験はありませんか。調子に乗りすぎると地に足がついていないので冷静な判断が出来ないことが多いです。自分の経験は少なくあまり発表できることが無いのですが、バブルの時ってこういう感じかなと思います。

ヨーガスートラでは、ヨガの練習を熱心に続けていれば、心の動きは落ち着くといっています。確かにヨガの練習に行った週一回90分だけは心が穏やかで安心できる感覚がありました。これは単に運動をして気分が晴れただけということもあるでしょう。インドの考え方に怠けると出てくる物質で人は心身共にダメ人間になってしまうという考え方があり、まずは動きましょう、そして神様や哲学について学び神聖な気持ちを持てるようにするというのが最終目的地になります。
神聖な気持ちと書きましたが、インド哲学ではサットワと称される心の在り方があって、穏やかで中立で冷静に判断ができる徳の高い人とでもいえばいいのでしょうか。食事や健康にも気を使いこういう精神状態を目指しましょうと教えています。
第2節で言っているのはこういうことなのではないかとようやく分かってきました。

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