結局、ヨガって何なんだろう
皆さまご機嫌いかがでしょうか。ヨガインストラクターで日本茶アドバイザーの まるやま ゆみ です。
私の文章に目に止めていただきありがとうございます。
ヨガは体操?
今日はヨーガ・スートラの話から。
ヨーガ・スートラという本があります。
古代インドの六派哲学の一つ、ヨーガ学派の経典です。ヨーガ学派の人たちはこの本の考えに基づいて、最終目的であるサマーディという境地を目指します。
サマーディというのは、まぁ要するにめちゃくちゃ集中した状態のことです。
で、それに至るために道徳的なことを守っていくところから始めて、体を健康にして、その後呼吸をコントロールしながら心を落ち着かせていく…。
こんな感じで修行をしていたとされています。
呼吸が落ち着いたり、瞑想がはかどる状態にするには、快適な姿勢でい続けることが重要。確かに息切れしていたり、無理な姿勢で体に痛みが出ているような状態では、瞑想どころではありません。
ちなみに、アーサナという言葉は現在ではヨガのポーズとして理解されていますが、本来は坐法、つまり座り方のことのみを指していました。
いわゆるヨガポーズというのは、もっとずっと後に編み出されたものだとされています。
ヨガの目的
RYT200の講座を受講していた頃の話。
私が通っていた養成校では、いろんな先生が入れ替わり立ち代わり指導をしていました。
まぁ、玉石混合という面が目立つけれど、自分で学ぶべき内容を見つけられる人にとってはいろんな考えに触れることができるので良いのかと思います。
そんな中、忘れられない一言を言った先生がいました。(どの先生もだいたい一つ印象的な出来事があったけどね。)
その言葉というのが…
心の動きが止滅(しめつ)できれば、何をしてもヨガになる
ヨーガの目的を表したヨーガ・スートラの第一章二節から出てきた言葉です。先に出した引用とは違う言葉のような印象を受けるでしょうが、一般的にはこの言葉で表されています。
目的が心を止滅させる(まぁ要するに心を落ち着かせると理解して良いと思うのですが)ことな訳です。
体操をすることでも、坐禅のように長時間座り続けることでもない。それらは目的を達成するための手段に過ぎない。
私は思わず膝を打ちました。
その先生が何故そんなことを言ったのか。それは、その授業がシニア向けヨガクラスに関する授業だったからです。
高齢者にとって、ヨガのポーズは難しいことも多いです。というか私の経験上、できる人とできない人の差が大きすぎる。
その授業では、ヨガというより脳トレやリハビリ体操のやり方を多く学びました。
売れるヨガインストラクターになる
私にもそんな方法は全く分かりません。分かっていれば困ってません。
でも、多分。自分がやりたいことを押し付ける先生より、生徒さんがやりたいことをくみ取って、良い感じに提供できる先生の方が人気が出るだろうとは思います。
自分がレッスンを行うというのは、目的ではなくお金(=生徒さんからのご厚意)をいただくための手段です。自分がやりたいようにやるというのを目的にしていませんか?という事を5年前の自分に言ってあげたい…。
自分にいかに知識があるのか、難しいポーズができるのかを見せつけたい。そんな気持ちが根底にあると人は離れてしまう気がします。そして、それを重視してしまうと謎の講座を受講しまくって、たくさんの資格を保有してもまだ満足いかないという飢餓感が付きまといます。
目の前にいる生徒さんに満足してもらおうとする分には、そのために必要な知識やスキルだけあればいい。謎の不必要な資格はいらないはずだし、ましてや高額商材を売ろうみたいな考えは浮かばないだろうなと思います。
まぁ、お金もらえるなら欲しいですけどね。昼間からゴロゴロしている間に宝くじ当たらないかなぁ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
また、読みに来ていただけたら嬉しいです。
それでは。
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