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無くしてわかるありがたさ

皆さまご機嫌いかがでしょうか。ヨガインストラクターで日本茶アドバイザーの まるやま ゆみ です。
私の文章に目に止めていただきありがとうございます。

久々に体調を崩した

先週noteやアメブロを書くことができないくらい、非常に体調を崩してしまいました。

幸い翌日には回復したのですが、久々に自分の中に緊張感が走るほどの体調不良。久々の飲酒?(あの量で?)肉が生焼け?(焦げてたけどな?)理由に思い当たるものはありません…。

ここまで具合が悪いと感じたのは(多分)5年ぶり。
「これくらいだと救急車呼んでもいいのかな?」と思うほどでした。

でもそのおかげで健康のありがたさをしみじみと感じることができました。

ヨガ修行の妨げ

ヨーガ・スートラにはこんなことが書かれています。

ヨーガ・スートラ 第一章30節
病気、無気力、疑惑、不注意、怠惰、渇望、誤認、ゆるぎない基盤の未発見、移り気、これらが心の散乱の種であり、(ヨーガの道の)障害である。

ヨーガ・スートラ 第一章31節
苦痛、錯乱、身体の震え、荒い吸気と呼気、これらが(ヨーガの道の)障害であり心の錯乱を伴う。

ヨーガ・スートラ パタンジャリ哲学の精髄 原典・全訳・注釈付 
A・ヴィディヤーランカール著 、中島巌編訳

ヨーガの道に限らず、こんな状態だといろいろうまくいかなさそうです。

例えば推し活とかでも、こうした状況は障害になりそうですよね。

病気や無気力だとイベントに行かれませんし、恋愛禁止のルールを破っているのではないかと疑惑を抱いたり、自分を恋愛対象として見てほしいと渇望するといろいろトラブルが起こりそうです。

心が散乱していると、人生万事うまくいかないのではないかと思います。

だから、心の動きを止滅させる必要があるとヨーガ・スートラの冒頭で示されているのでしょう。

身体が心に影響する

ここで興味深いと感じるのは、心の話なのに身体の話もまぜこぜなんだという点です。

心の散乱とか錯乱とかの話なのに、苦痛、身体の震え、荒い呼吸といった体の状態も並列して例示されているんですよね。

道徳的なことを身に着け(ヤマ・ニヤマ)、身体をアサナで整え、次に呼吸法で息を整え(プラーナヤーマ)、いろいろあって、最終的に8段階目のサマーディーまで到達しましょうというのがヨガです。

身体から整えて、最終的に心を整えていきましょうというのがヨガの考え方です。
これは、実際に自分で試してみて分かった結果なんだろうと思います。

ヨーガは必ず実践が伴います。
ヨーガ学派のスタンスとしては、身体を動かし、自分で感じたことというのが何よりも大切。机上の空論とかありえないのです。
(念のため言っておきますが、ヨーガ学派以外は実践に重きを置いてはいません。)

西洋的な精神医学や心理学では、心と体は別のものとして捉えて研究していますから、考え方が全く違います。
現在だとマインドフルネスだなんだと東洋的なアプローチも進んでいるようですが。

最後に(どうでもいい話)

東海道新幹線の下りに乗車した場合には、三河安城駅を発車・通過して右手(E列側)でセロテープの巨大看板が見えます。
キャッチコピーのフリー素材が無かったため、今回の写真はセロテープです。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
また、読みに来ていただけたら嬉しいです。
それでは。

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