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霧の中

 遥がスマホで現在の気温を確認すると31度と表示されていた。
 「ねぇ、慎ちゃん、今31度らしいよ。」
 「そりゃ沖縄だからね。暑いに決まってるさ。」
 「こういうの見るとやっぱりテンション上がるー。」
 慎吾は遠くの標識を眺めながら笑って答えた。
 「遥のそういう単純なところ好きだな。」
 「あ、今の小馬鹿にしたよね!絶対そうだ!」
 遥は敢えてあからさまに怒ったような素振りでツッコミ、二人は戯れ合う。505号線を走る車は今帰仁村へと向かっていく。

  二人は大学で出会った。コロナ禍ということもあり、友達が殆ど出来ずにいたので、同じテニスサークルである彼らは、ただ会話を交わし気まずくならないという理由だけで、惹かれ合うには十分だった。
 慎吾が遥に、ネットで借りたAirbnbの宿の場所を確認して道を教えてくれないかと頼む。辺りは民家と畑ばかりで、ランドマークが無く、道は時々極端に細くなる。慎吾は平均台を歩くような神経を強いられていた。遥の案内を受けて、宿に着き車を駐車した。慎吾は、玄関のポストの南京錠を事前に教えられた番号に合わせて鍵を取り出す。宿は写真よりも幾分か大きく見えた。家というよりかは、小さな学童施設のような見た目の建物で、内装はしっかりとリフォームされ、モダンな雰囲気の部屋である。二人は荷物を置いて少し部屋を見回ると、遥がリビングのテレビと対面した壁に木刀が飾られているのを見つけて、
 「木刀だよ!かっこよくない?」
 「そういう台詞は普通俺が言うんだよ!」
 「舐めたこと言ってると頭かち割るよ。」
 「なんで急にそんなスケバン思考?!」
 「慎ちゃんのせいで、ちょっと疲れた。休んだら海に出かけようよ。」
 「好き勝手にボケた遥がなんで疲れてるんだよ。じゃあ今10:30だから、11:30までダラダラしよっか。」
 二人は荷解きもしないまま、ベッドに身を投げて寝そべり始めた。慎吾は眠たくなったので、11:30にアラームをセットしていると、遥も寝ると言い出し、二人して昼寝を始めた。
 
 アヒルの鳴き声が鳴り響く。慎吾はアラームを止めて、まだ寝ている遥を揺さぶり起こす。遥は目を擦りながら、身体を起こして慎吾に身を寄せる。
 「今からどうしようか。」
 「とりあえず、近くにある浜辺に行ってみようよ。」
 「そうだね。」
 慎吾はiPhoneで今後の気温や天候をチェックしようとしたが、電波が繋がらなくなっていた。機内モードに設定し、解除しても、一向に回復しない。
 「何故か電波が繋がらなくなってる。」
 遥は自分のAndroidを取り出して確かめるが、同じく電波は通じていなかった。
 「私も。」
 「ここだと繋がりにくいのかな。この家には確かWi-Fiがあったよね。それに繋いでみようか。」
 慎吾は、リビングのテレビ台の中にあるWi-Fiのルーターを取り出し、パスワードを入力して繋げた。しかし、Wi-Fiの線は3本経っているはずなのに、一向にネットには接続されない。慎吾が苛立っていると、遥は宥めるために外に出かけようと促すことにした。窓辺に近づいてカーテンを開けると、遥は
 「えっ。」
 と声を漏らした。慎吾もその声に反応して窓の方を見ると、外の景色が霧で覆われていた。
 「何これ?」
 慎吾は乱暴に窓を開けて、縁側に出ようとしたが遥が腕を握って部屋に引っ張った。
 「ちょっと待ってよ。何か怖いから出るのはやめてよ。」
 「そうだね。ごめん。」
 二人は、何か情報を掴もうと各々スマホで調べようとしたが、やはり、一向に繋がらないままで、Wi-Fiも機能しない。歩き回った遥はダメもとでWi-Fiのルーターの横にあったラジカセに電源を入れて、ラジオを聞けるか試してみた。周波数を87.5に合わせると放送が聞こえてきた。
 「慎ちゃん!こっちに来て!」
 興奮気味に慎吾も駆け寄り、二人してその放送に耳を澄ませた。
 「えー。ただいま沖縄全域を覆う謎の霧が発生しております。電波障害とみられる現象が発生している様子で、霧の中では、ビッグフットのような怪物の目撃情報も寄せられております。そのため、この放送を聞いておられる方は決して家から出ずに、自宅で待機するようおねがい致します。現在、沖縄米軍基地と自衛隊が連携を取り、原因究明の為に調査をしておりますので、引き続き、この放送を聞いてお待ち下さるようお願い致します。尚、この放送部分は、繰り返し放送いたしますのでご了承の程よろしくお願い致します。」
 「どういうこと?さっき怪物がいるとか言ってなかった?」
 「うん。ビッグフットのようなって言ってたよね。」
 遥は目の下に力が入り、目を潤ませ怯え始めた。
 「慎ちゃん、私怖いよ!どうしよう!」
 「ちょっと落ち着いて!冷静に考えなよ。怪物?そんなのいるわけないじゃん!」
 「じゃあふざけて放送してたっていうの?それに外のこの霧は何!」
 慎吾は酷く苛立ち、立ち上がって壁に飾られた木刀を手に取って玄関へと向かい始めた。
 「どこに行くの?何する気?」
 「外に行って様子見てくる。」
 「なんでよ!放送聞いてたでしょ!危ないって家から出ちゃいけないって言ってたじゃん!」
 慎吾は木刀を地面に軽く叩きつけ、
 「だってここでじっとしてたって何も分からないぞ!あんなありえない話にこの沖縄旅行台無しにされてもいいのかよ!大丈夫。絶対何もないから、ちょっと外見てくるだけだから、遥は家にいてよ。俺以外が来ても絶対ドア開けるなよ。」
 遥は今まで見たこともない慎吾の蛮勇さに圧倒されて、反論する言葉は蛇口を止められたように塞がれた。
 「うん、分かった。でも無理はしないでね。危ないと思ったらすぐに帰ってきてね。」
 「うん、ありがとう。すぐ帰ってくるから。」
 ドアを開けて外に出ていく慎吾は10歩も歩かぬ内に霧の中へと消えていった。
 
 遥は部屋にあったインスタントコーヒーを飲みながらリビングで慎吾の帰りを待っていた。慎吾が宿を出てから、25分程経った頃にインターフォンのチャイムが鳴った。遥がインターフォンのカメラを見ると、慎吾が立っていた。
 「今開けるね。」
 遥がそう言うと慎吾は軽く頷いて返事をした。遥がドアを開けると、額や胸に汗を滲みませた慎吾が少し息を切らしていた。
 「ただ霧が深いだけで、特に何もいなかったよ。とりあえず汗かいたから風呂に入るね。上がったら、二人で出かけようか。」
 慎吾が手にしてた木刀を受け取り、遥は労うように言葉をかけた。
 「大丈夫だったんだね、良かった。そうだね、お風呂に入ったらまたどこに行くか考えよう。」
 慎吾は、廊下を進みリビングに入ってキッチン横にある風呂場へと入っていった。遥は慎吾の無事を危惧してた緊張から解かれた安堵によって、疲れが襲い、寝室に入ってベッドに横たわった。シャワーの音が静かな部屋に鳴り響く。遥が心地よくその音に浸っていると、またインターフォンが鳴った。
 
 遥が慌ててインターフォンを確認すると、カメラには10歳程度の少年が映っていた。遥はこの霧の中、道に迷ってしまった男の子が訪ねにきたのだろうと思い、急いで玄関のドアを開けた。少年と対面すると、どこかで会ったことがあるのではないかという親近感を遥に抱かせた。
 「どうしたの僕?」
 「いや俺だよ。霧の中に怪物とかいなかったけど、身体が小さくなってしまった。」
 「ちょっと待って?俺って誰のこと?」
 少年は信じられないのも無理はないなという大人の様な表情を浮かべて、
 「慎吾だよ。身体が小さくなっちゃったんだ。」
 そう言うと、呆気に取られてる遥を置き去りに部屋に入り、廊下の右側にある書斎部屋のドアを開けて入っていった。遥は慌てて追いかけた。
 「待って、あなた慎ちゃんなの?本当に?」
 「本当だって。持っていった木刀は、この身体だと重くてさ、道の途中で置いてきてしまったよ。あの霧が身体に影響を及ぼすのは確かだからさ、この部屋にある本で何か分からないか少し調べてみるね。」
 「でも、今、お風呂場で慎ちゃんがシャワーを浴びてるんだけど。」
 「そんな訳ないだろ。何訳分からないこと言ってんだよ。」
 「慎ちゃんが帰ってくるちょっと前に、慎ちゃんが帰ってきたの。それで今はシャワーを浴びてるんだよ。」
 少年は顔には似つかわしくない哀れみの表情を浮かべて、遥の両肩に小さな手を添えた。
 「遥、落ち着いて。確かに急に意味不明な放送が流れたし、不安もあると思う。だけどね、こんな風に小さくなってしまっても、俺は慎吾だし、遥を守るから、信じてほしい。遥はリビングで少し休んでて。」
 「うん、分かった。」
 遥はリビングのソファーに座り、不安で流れ始めた涙をテイッシュで拭っていた。後ろの風呂場では依然としてシャワーが流れ続けている。遥は風呂場へと向かい、耳を澄ませた。慎吾が鼻歌を歌いながらシャワーを浴びる音が聞こえてきた。
 遥は自分ではどう対処すればいいか分からなくなって、シャワーを浴びている慎吾が上がるのを待つことにした。何度も頭を抱え、この状況を整理しようとしても何一つとして合理的な説明が見つからなかった。そんな遥を追い詰めるかのように再びインターフォンが鳴った。恐怖で呻きながら、遥は恐る恐るカメラを確認した。そこには、右肩辺りから流血し左手でその部位を抑えて顔を歪めている慎吾いた。遥はパニックになりながら、急いで玄関へと向かいドアを開けた。慎吾は苦悶の表情で部屋に飛び込み座り、怪我の経緯を話し始めた。
 「話は本当だったよ。畑横の道路歩いてたら、田んぼの中から走ってくるビッグフットみたいなでかい獣がいて襲われたんだ。見てこれ、木刀も折られた。」
 「怪我してるじゃん!大丈夫なの?」
 「大丈夫大丈夫。軽く引っ掻かれただけだから。とりあえず絶対に外には出ない方がいい。」
 「どうしようか。救急車も呼べないよね。」
 「風呂に入って洗い流すから大丈夫だよ。」
 そう言って慎吾は風呂場へと歩き始めた。遥は風呂場にいる、最初に帰ってきた慎吾のことが気がかりだった。二人は鉢合わせた時、どうなるんだろうと思ったが、今目の前にいる慎吾を引きとどめる勇気も持ち合わせていなかった。一人目の慎吾が脱ぎ捨てた服の上に当たり前のように自分の服を脱ぎ捨てた三人目の慎吾は、躊躇なくシャワーが流れる風呂場のドアを開けて入っていった。しかし、中から声がしたり、慎吾が飛び出してくることはなく、平然とシャワーの音は響き続けていた。遥は書斎にいる少年になった慎吾の様子を見ようと部屋に向かいドアを開けたが部屋には誰もいなかった。机には、いくつかの本と論文などの資料が散らばっており、机の中央には、メモが置かれていた。
 「霧には、身体への影響あり? 
  霧の中の怪物はその容貌を自由に変えることができる?
  霧と通信障害は直接的な関係は見当たらない」
 遥はメモを読み終えると、背筋がゾッとし身震いした。部屋に招いた3人の慎吾は全てこの怪物ではないだろうかと。遥は宿中を探し回ったが少年になった慎吾は見つからず、再びリビングのソファーに座り項垂れた。冷静に考えると、一人目の慎吾が風呂に入り始めてから、30分以上は経っていた。遥は風呂場の近くに行き声をかけた。
 「慎ちゃん、まだお風呂入ってるの?」
 「もう上がるところだから少し待って。」
 中からは、一人分の声しか聞こえてこなかった。遥は、「もう上がる」という言葉を聞いて、風呂に入っているのは1人目の慎吾ではないだろうかと推測していると、4度目のインターフォンが鳴った。カメラに映っているのは慎吾だった。
 
 4人目の慎吾は、遥が玄関へと行く前に扉を開けて部屋に入ってきた。体も小さくなっておらず、怪我もしていない。木刀もしっかりと持っている。しかし、遥は聞かずにはいられなかった。
 「あなたって誰?」
 「誰って何言ってるんだよ。慎吾に決まってるだろ」
 「本当に慎ちゃんなの?」
 「遥。心配しなくても大丈夫だったよ。遠くまで歩いてたんだけど、その内、霧が晴れてさ、怪物なんていなかったし、やっぱり悪戯だったんだ。」
 遥は、今までのことは何か悪い夢でも見ていたのだろうと、思い込むことにした。
 「ごめんね。私、一人で少し怖かったからさ。」
 「そうだよね。でも大丈夫だから出かけよう。どこに行きたい?」
 「うーんとね、美ら海水族館に行ってみたい!」
 「いいね、じゃあ今すぐ行こうか。」
 慎吾はそう言って握っていた木刀を壁に飾り直し、遥は軽く身支度を整えて、二人は玄関のドアを開けた。

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